「東京ドーム○個分」これをきちんと把握してる人は日本に何人いるのだろう?
ニュースで広さを表すときに良く聞くのが「東京ドーム○個分」この言葉の中に色んなものが含まれてる気がした。まず東京ドームを実際に見て大きさを知ってる人はこの日本に何人いるのだろう?いつの間にかkmの表示が分かりやすくという形で東京ドームに置き換えられてきた。しかし本当にこの表示が分かりやすいのだろうか?メディアは東京ドームくらい知ってるでしょと思ってるからこそ表示してるのだろう。実際に見て大きさを知ってる人はそれをふまえた上で大きさを頭の中に広げるだろう。だが東京ドームを知らない人達はどうなのだろうか?映像や写真で見た東京ドームを思い浮かべてそれを並べていくしかない。実際の大きさを知らなくてもみんなが分かったフリをするようになったから今も変わらず東京ドーム○個分という表示が当たり前になってるのだろう。これは今の日本の本質ではないのだろうか?「誰もが知ってる」この幻想が日本では飛び交っていて、ちょっとでも知らないというと馬鹿にされたり、おいてきぼりにされる。それが怖いから誰も深くそれに触れる事はない。学校教育でもそれがまかり通って社会もその幻想が当たり前のようになっている。これはよく考えると怖い気がした。が、これが一つの方程式のように色んな出来事が当てはまるような気がする。変えるべき事はまずはここからかもしれない。