コシヒカリBL 15日目 コシヒカリBLに対する批判の声(2005年12月26日再録再編集)
コシヒカリBLに反対の声がよせられている。目立つものはなぜかコシヒカリの収穫間際になってあわてて公開されている。Googleで「新潟コシヒカリBL」「コシヒカリBL」と検索すると、コシヒカリBLに対する疑問の声をみることができる。代表的なサイトをここにあげてみよう。これらの声のいくつかは誤解に基づいているか、意図的に曲解した情報を元になされているので、これまでの日記を読んだ方はそれに気づかれるだろう。しかし、「私にはわからない点がある」「こういう風に見えるのは良くないことだと思う」という指摘は有益である。疑問に対して説明したり、悪い点を改める機会になるからだ。コシヒカリBLをコシヒカリとして販売する農協、全農にいがた、卸・小売り業者の、これらの指摘に対する反応が鈍いのは残念だ。魚沼地域の農家の声が掲載されている。一部の農家はこのように十分な説明の受けられないまま、誤解を深めているのだろうか。とてもよく自分の田んぼを面倒みている農家であることはブログの書き込みからわかる。しかし、新潟県蒲原地方の稲株が「茎数が多くて風通しが悪い」のは「収穫重視の栽培」だからと断じている。地図を見ればわかるが、魚沼地方は山の奥、海や川からの強い風には無縁な土地である。新潟県蒲原地域というのはいわゆる肥沃な越後平野で、海と川からの強い風に日常的に晒される。風で痛めつけられる稲は茎の数が多くないと十分な数の穂が確保できないそうである。つまり肥沃で茎の数は多くなってしまうが、その数が多くないと風の障害に耐えられないから「茎の数が多い」栽培をせざるを得ないのである。米小売業者のサイト小売業者を自称する割には米流通に関わる法令に詳しくないようだ。植物の品種改良では、とくに野菜など収穫・販売される部分が区別できないなら同じ品種、と認めざるを得ず、その実態に法律が合わせて制定されていることを理解していない。もっとも、計画流通米(主に農協を通じて市場に出るお米)を扱わない方のようなので、利害から言ってこのような書き込みで自分の扱う米のライバルになりそうな商品にネガティブキャンペーンを行っているのかもしれない。こういう小売り業者は頂点にある新潟産コシヒカリの価格が20%、30%と下がってきた時にどのような商売を展開するのだろう。興味が尽きない。農業農政評論家の活動この評論家氏は見識の高い優秀なジャーナリストである。ジャーナリズムはいかに衝撃的な情報の売り込み方をするかが命であるので、人に「そんなバカな!」と言わせなければ仕事にならない。その点を割り引いて冷静に情報を検討してみると良い。しかし、このブログ記事で紹介されているコシヒカリBLと従来コシヒカリの試食会のイベントはあまりの不手際(電源容量不足できちんとお米が炊けなかった)とそれにもめげずに凱歌をあげる姿(どちらが何、と知った上で試食しても思い込みから味は変わる。そもそも同じ農家が同じ栽培方法と同じ田んぼで作った二つの品種を食べ比べている訳ではない)に苦笑を禁じ得ない。ジャーナリストとはこのように強弁しないと成り立たない職業なのかも知れない。コシヒカリBLではっきりしているのは、説明不足の推進者と、そのため邪推せざるを得ない生産者、小売業者、消費者の構図である。評論者は既に金にならない話題から別の話題へと仕事を移している、煽り文句を後に残して。この構図は近くはパロマのリコール隠し問題、三菱自動車の不正修理問題、行政がらみだと集団接種(B、C型肝炎拡大)、薬害エイズ、水俣病、アスベスト、ドミニカ等海外移民、耐震偽装問題などそれこそ枚挙にいとまがない。説明不足と指摘されたときが説明のチャンスなのは間違いがない。「これまで我々なりに説明してきたからそれで問題はない」という姿勢に終始すれば、「自分は知らなかった」という集団には様々な煽り文句と邪推が吹き込まれる余地ができる。改めて真実が明らかになる頃には自体の複雑さにマスコミも報道を止める。そして一部の人間に誤解と邪推を残したまま、多くの市民は問題がうやむやになったと判断して思考を止める。インターネットが普及した今、マスコミでなくても多くの人の目に触れる情報発信が可能だ。説明不足と邪推を原動力に、正しくない情報を垂れ流しにもできる。深く静かに浸透した誤解が、次の「疑惑騒動」に発展しない保証はない。コシヒカリBLの珍騒動からはそういう、互いに情報不足で損をすることのない教訓を得たいものだ。