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カテゴリ:恋愛小説
時が流れるのは驚くほど早い。 あれほど大きな災害で、タイだけでも20人以上の日本人が亡くなって、各国の死傷者を 合わせれば、かるく100万人を越える。テレビでは毎日のように現場の映像が流されて いたというのに、数週間もしたらニュース番組からその映像は消え、日本ではまた いつもの日常が流れていくだけで、南の国々では家族や住む家を失った人も、食事も ままならずに劣悪な状況であらゆる病気の不安と隣り合わせの暮らしをしている人たち が確実にいる。それなのに、目に見えなくなった現実は遠い国では幻のように人々の 思考の回路からはずされていく。それは思い出とは違う場所に保存されるようで、心に 蓄積されるとこもなく、水蒸気のように蒸発して消えていくのだ。
でもそれは私の中では幻のようにも、水蒸気のようにも消えていきはしなかった。蓮の 笑顔、蓮が撮った写真、蓮と過ごした日々の思い出が心の中に沈殿して、ときおり ゆらゆらと心が波立つたびにそれらが表面に浮き上がろうともがいていた。人の心から 空気のように消えていってしまった出来事が私にとっては心の一部になってしまっていて、 その悲しさを誰かに語ったとしても、それはその人の心に響きはなしない。そういう場合、 たいていの人は自分の心の奥深くにそれをしまいこんで、浮上してこないように祈りながら 生きていく。上手にしまいこんで笑顔を作ることに成功する人も多いかもしれない。 けれど、私にはそれがなかなかできなくて、意識しているわけでなくても人づきあいの 範囲はあまり広いとはいえない状況が続きいていた。 だから自分の撮った写真が評判を呼び、多くの見知らぬ人から感想やメッセージを 貰ったことに、私は少しの戸惑いを感じていたのかもしれない。それはほんのささやかな 仕事の励みでしかありえないと思い続けていたのも、そのせいだったのだろう。けれど、 写真展を開くことになったのは、私にとって何かの始まりだったような気がする。仕事と 写真展の準備に翻弄する毎日は、私の心に波が立つ時間さえも与えはしなかった。
スタジアムを囲むように作られた公園を抜けて、大通りへ向かう。大通りに沿って 植えられた銀杏の葉の緑が美しい。横断歩道を渡って、建物の石の階段を駆け足で 上ると、開け放たれたギャラリーのドアの近くに立っていた果歩が振り向くのが見えた。
「琉夏、遅かったじゃない。オープン時間まであと三十分もない。これが一般企業の社員 だったら、上司に怒られること間違いなし・・・」 「はいはい、わかりました」
『モノクロームの向こう側から』と書かれたサインボードが入り口に置かれている。壁に 飾られた写真を、順を追って見ながら歩いていくと、最後のエリアに蓮が撮った写真が 数枚展示させている。私と蓮が好きだった写真ばかりだった。
写真展一日目、専門学校時代の友人も含めて、ギャラリーには仕事関係の人、 取引先の人まで思った以上にたくさんの人たちが来てくれた。
「女の尻ばかり追っていると蓮は言われていたけれど」 専門学校時代の友人が蓮の写真の前で立ち止まり、昔を懐かしむように顔を見合わせた。 「蓮は女を撮らせたらピカイチだった」 そう言って笑うみんなの顔が、蓮の写真が好きだったと言っているように見えた。 専門学校を卒業してから約6年。それぞれ自分の仕事を見つけ、別々の人生を歩んで いる。みなの顔をみていると、学生の頃にタイムスリップするのは簡単なことで、ここに 蓮だけがいないことが不思議に思えてしかたがない。 「琉夏の写真展のおかげで、プチクラス会みたいになった。蓮の写真にもまた会えたしね」 再会を喜んではしゃいでいた仲間達もひとり、またひとりと自分の居場所に帰っていく。 二時をまわって、誰もいなくなったギャラリーで私と果歩のふたりだけになり、少しだけ 力がぬけた。私は小さな椅子を蓮の写真の前に運んで腰掛けて、白い壁にかけられた 蓮の写真を眺めていた。
つづく
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Last updated
July 13, 2008 06:11:57 PM
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