2006/07/09(日)23:29
高卒=大人 大卒=幼稚
大人。
一般的にどういう人が大人と言われるのか。
我々の世代での感覚としては、自立している人ということになる。
自立=一人暮らし的感覚がある。
しかし、私は違うと思う。
大人=自立している人ではないということに。
「大人=他人を不快にさせない」であると考えている。
大人は、世間体をとても大切にしている。
一見、仲の良さそうな近所でも、実は全く仲良い訳ではない場合が多々ある。
それでも、相手の行動・心理を読み取って、相手が不快に思わないように振舞う。
相手も大抵そういう態度に出てくる。
それで、近所付き合いが上手くいっている。
これこそ大人であろう。
決して、一人暮らししているからとか、一人前に働いているからと言って、それが大人とは結びつかない。
一人暮らししていても、働いていても、相手も不快に思わせるような行動・言動に出るものは大人ではない。むしろ、単に体が大きくなった子供であろう。
そして、最近気づいたことがある。
それは、世間で言われる頭がいいやつほど大人ではなく、頭が悪いやつほど大人だということだ。
それは、私の周りだけなのかもしれないということを注記しなければならない。
頭の悪いといわれるやつらは、大学には進学せず、就職して社会に出る。
これだけでは大人とは私の理論では言えないが、私の知っている高卒の友達は、家庭でいろいろ問題があり、世間に自動的に放り出されていた人が多い。
そういう友達は、高校生の頃はやんちゃだったが、社会に出て劇的に変化した。
そう、大人になっているのである。
もう会話が大人である。
まず、相手の話を聞く。
そして、相手を喜ばせるような答えを返す。
心の中ではどう思っているのかは、推測の域を出ることは出来ないが、そこは、表に出てこないので誰にも分かることではないので問題ない。
しかし、会話中には、相手を不快にさせる言葉は一切発せられない。
これが大人の証である。
自分を自慢してしまったり、自分の意見を意味もなく通し続けたりするのは、断然なる子供である。
これが大学生には多い。かなり多いのだ。
社会に出ていないからこうなるのか、実に何事もなくヌクヌクと育ってきているからこうなるのかとか考えるが、とにかく同い年でも差が歴然としている。
大学生も卒業して社会に出れば、時期に大人になっていくのだろうが、それに気づかずのん気に生活している大学生自体に私は強い憤りを感じている。
といっている私自身、大学生という身分なので、全く大人ではない。
大人でないことはちゃんと自負している。
自分が大人でないことに常に苦心している。
社会に実際に出ないと大人になることは難しいであろうとも考えている。
にしても、私よりも大人でない大学生が多いと感じてしまうのは、本当に現代の日本大学生の精神年齢は下がっているように思える。
私自身、かなり底辺だと思っていたが、案外いろんな人と付き合ってみると、子供のやつが多い。
疑問に感じる場面が多々ある。
最初は、私がさらに子供で、周りが大人なのかと思った。
しかし、40歳以上の方々の話を聞いていると、やはり相手のほうが子供ということが判明。
私の感覚は間違っていなかったようだ。
まぁ、相手が大人であろうが子供であろうが自分には全く関係のないことではあるのだが、その野郎たちの存在がうざい。
当然、私も大学生の身だから、誰かからは子供に思われている部分は当然ある。
そして、私も相手に対してそう思っている。
しかし、それを受け入れてくれるような友達に対しては、全く腹は立たない。
私が子供っぽい行動・発言をとったとしても、それを寛大に受け入れ、注意もしてくれるような友達。
その友達が大人である場合と、そっちも子供の部分がある場合の2つがある。
その友達が大人である場合は、こっちが学ぶことだけしかないので、正直にアドバイスを受け入れ、訂正していけば良いだけなので、苛立つ必要が全くない。
そっちも子供の場合でも、ちゃんと不手際を認め、訂正してくるような子であれば、こっちも注意されれば素直に受け入れることが出来る。
ただ、幼い精神の上に妙に自信を持っていて、ただ相手に対して注意をしてくるだけのようなやつは、本当にうざい。
これほど、邪魔な存在はない。
まず自分を直せと言いたい。
さらに、相手に注意をほどこしても、その意味のない自信がゆえに、訂正しようとしない。
まさに最悪。
さらにその自信と言うものが、頭の良さを比例していることが分かった。
頭の良さがいらない自信を持たせている。
あれは、本当に腹立たしいし可哀想に思える。
言い方が悪いが、ようは「馬鹿にしている」訳だ。
だが、見下すのはいつか反論を買う。
さらに、復讐を受ける。
なぜなら、社会の組織がそういう風になっているからだ。
所謂、頭の良い人が、社会の上層へ行き、開発・立案など、頭を使う職務につく。
そして所謂、頭の悪い人が、その開発・立案したものを作っていく。
この組織である。
頭の良いやつというのは、良いくせにこの組織について全く考えず、頭の悪い人を見下す傾向が強い。
しかし、いくら頭の良い人が研究開発したとしても、それを作る人がいなければ、その人の研究開発もなんら企業に利益を生むものでもなく、全く意味がない。
そう、底辺がいるからこそ、上層が生きてきているということに気づかないやつが多い。
例えれば、いくら建築士が設計をしたとしても、それを作る大工がいなければ、単なる絵を描いている馬鹿となんら変わらない。
何度も言うが、底辺がいるからこそ、上層が生きてくるのだ。
私はこれを高校生の頃に気づいた。
底辺がいての社会の成り立ち。
大学ではピラミッド型に組織図が書かれることが多いが、底辺が細ければ、その会社は倒産する。図に表れている。
その上層が幼い精神の持ち主で、
下層が大人なのがなんとも歯がゆい現実に思える。
それに気づいてからは、どうにか自分もなるべく大人らしく振舞うように努力している。
でも「大人らしく」も全然ダメだ。
「大人らしく」なんてことをやっている子供野郎はたくさんいる。
「大人らしく」ではなく「大人」にならなければ。
自分の存在も歯がゆい。
なので、私は、有名大学に在学している友達よりも、高卒で社会に出て一生懸命働いている友達のほうが誇りに思うし、尊敬する。
私の目標とする人は、社会人の友達である。
学力より、精神力である。
精神力と言っても、「打たれ強い」とかではなく、「大人」であるということだ。
私もいち早く彼らのように「大人」になりたい。
あと、大学生諸君。もっと大人になろうぜ。いい加減。まぁ「自分は大人だけど」とか思っているやつが100%幼いんだけども。本当に困ったものだ。他人のことながら。