こんばんは、鎌田です。
今回は、ぜひ塾関係者のみなさんに
読んでいただきたいと思っています。
そして、ご意見をたまわりたい。
今日も昨日に引き続き、合宿のVTRを眺めています。
あと2本・・・。2時間半くらいかな?
今年のVTRは、トシエ先生が7本も回していただけあって
(しかも、途中1日はほとんど撮影していないのに)
「捨て場面」がありません。
どこをとっても、ウソのない、名シーンばかり。
塾長佐々木の語りも、例年以上にアツいものがある。
生徒の涙にもウソはないし、何気ない一言に重みがある。
もう、こうなったら、ノーカット版を上映しようか。
(そんなことをしたら、10時間以上の上映時間、
ラストエンペラーを超えるぞ・・・。めざせ、ワーグナー。なんのこっちゃ・・・。)
さて、「思い出」としての合宿について。
帰ってきた当日に書きましたが、
今回は、過去最高の成績上昇率を達成しました。
最大24.4の偏差値アップ。
特例ではなく、全生徒平均でも
英語5.7、数学4.9の上昇。
ウチの合宿では、初日の8月25日に、偏差値換算可能なテストを行い、偏差値を出す。
29日にもう一度、当たり前だけれども、別のテストで偏差値を出す。
その2回を比べて、どのくらい成績があがったかをみる、
というシステムをとっています。
偏差値で比較するのは、点数では問題の難易度に左右され、
客観性を欠くからです。
つまり、模擬試験の得点には、一切のごまかしはありません。
そりゃ、全ての生徒に成績アップしてほしいけれども、
ごまかしのあるテストでやったって、生徒もバカではないからそんなの気づくし、
第一、やってるこっちが嬉しくない。
だから、たとえ問題が簡単になったとしても、
その結果平均点も上がって、偏差値が取りにくくなるような仕組みをとっている。
正直言えば、怖いです。
これだけ頑張らせて、成績が上がらなかったら、
一切のやる気を失ってしまうのではないか、とも思う。
でも、心配はたいてい杞憂に終わります。
成績は、ほぼ確実に上がります。
(いくらなんでも、全員が偏差値10以上上がることはあり得ないけど)
さて、ここから塾関係者の方に読んでいただきたいこと、
もちろん、受験生のみなさんにも読んでもらいたいが、
でも実際にウチの合宿に行かなければ、「なるほど」とは思えないであろうこと、
ウチの合宿の根幹の部分を書きます。
合宿の話題と言っていて、いきなり核心を書くと、
塾長やほかの先生に怒られそうですが、
僕の言葉が足りないようであれば、塾長も書くと思いますので、きっと。
5泊6日のスケジュールの中で、最終日は勉強はしません。
ただ、朝起きて、食事をいただいて、帰ってくるだけです。
また、初日も時間の大半は、移動に使います。
志賀高原に向かって半日終わって、着いたらテストをする。
それでほぼ一日終わり。
だから、実際にテキストを開いて勉強しているのは、中4日ということになります。
それで勉強が
突然できるようになるわけがない。
でも、テストの点数、
成績は格段に上がる。
(ここが重要です。)
ウチの合宿では、文字通り、勉強しかしません。
勉強、成績を上げることに関係のないことは、一切排除する。
朝、散歩にはでかけますが、それは「勉強に集中するため」です。
部屋のテレビをつけると、砂嵐状態になっています。
廊下では一切の私語を禁じます。
授業中にひじをついて、だらけた姿勢をとろうもんなら、先生の怒号が飛びます。
で、テストを真剣に受けてもらうのですが、
いくら真剣に勉強をしたとしても、たった5日で勉強ができるようになるのであれば、
受験勉強は一週間もあれば十分ということになってしまいます。
そんなことは分かっています。
だから、ウチの合宿に参加する中学生は、
点数を取れるようになるのであって、
知識を身につけることは目的とならないのです。
(大学受験生の場合には別ですが)
生徒たちは、合宿に参加するまで、
自分の持っている力を100%出すことができません。
力の出し方を知りません。
それが、合宿に参加することで、
力を存分に発揮することができるようになる、
あるいは、発揮の仕方をイメージすることができるようになる。
だから、持っている知識量がそんなに大きく変わらなくても、
成績は上がる。
「なんだ、そんなことか」と思うかも知れませんね。
でも、実際に考えてみてください。
高校受験レベルの問題って、
膨大な専門的な知識が必要なほど、難しいですか?
生徒たちが作った答案は、彼らの100%の力が発揮されていますか?
今回参加した生徒が最終日に言いました。
数学で偏差値19.7の上昇を成し遂げた生徒です。
「初日が悪すぎた。
本来、ボクはこのくらいの力は持っていたんだ。
だから、元に戻ったってことかな。」
実は、この言葉は真実です。
でも、彼でなく、この言葉は全ての生徒にあてはまり、
そして肝心な部分が抜け落ちています。
彼がそのことに気づいているかどうか・・・。
初日の成績は、確かに、「最終日の彼」にとっては悪すぎです。
しかし、「初日の彼」は、
「その成績しかとれない彼」だったのです。
知識がそこまで増えたわけではありません。
むしろ「彼」にとっては、合宿中の授業はすべて復習だったはず。
だから認識しにくいのかも知れませんが、
ほぼすべての生徒が、この状態であるといえます。
「自分はできるはず」。
周りがみても「あの子はできるはず」。
でもテストの結果は予想ほどではない。
そんなとき、生徒のみならず、大人も言います。
「あの子は『やればできる』のに。」
「あの子は『実力』はあるのに。」
ウソです。
僕の考えるに、『実力』とは、
発揮できてはじめて『実力』です。
「ホントは僕はできる」というのは、
結果として「できていない」のですから、
それをもって「実力」とはいえません。
そんなの、詭弁です。
ウチの合宿がやたら厳しい理由は、そこにあります。
「発揮できる、本当の実力をつけさせる」。
そのためには、針が落ちる音すら聞き分ける、
研ぎ澄まされた神経、集中力、注意力をテストに向けることが必要です。
普段の塾にいても
「私は集中しているよ」、と生徒は言います。
でも、結果として「力が発揮されない」のですから、
やはり足りません。
だから、異質な環境を作り出すため、
周囲の目をはばかることなく、テストの点数だけに価値観を持てるように、
志賀高原に行くのです。
もちろん「涼しいから」ではありません。
そして、これはホテルのご協力がなければできないことなのですが、
異質な環境に住む我々も異質であって、
携帯電話も新聞もない、そんな環境に、
「異質でない要素」はじゃまになります。
だから、一般のお客さんが入りこんで
「日常」にもどさることがないよう、
無理を言って、空き室だらけになるのに、貸切にする必要があるのです。
う~ん、表現するのが難しい・・・。
(他の先生、お願いします)
たとえば、塾長佐々木が、こんなたとえを使います。
「あまりよい例ではないが、
君たちは今、火事であるのに、
眠くなってしまうだろうか。
君たちは、計算を間違えたら殺されるという状況で、
計算間違いをするだろうか。」
火事になったことも殺されそうになったこともありませんが、
とても分かりやすい例だと思います。
そして、ここが肝心。
テストを受けているときに、
「今、火事だ」、「これを間違えたら殺される」
というほどの緊張感でもって
解答用紙に向かうことは、大変難しい。
ウチの合宿では、生徒たちはその緊張感、集中力を身につけます。
そのモチベーションとなるのは、
もちろん「火事」とか「殺される」ということではありません。
「先生に怒られる」ということでもない。
プラスのモチベーション。
「100点満点を取りたい!」
その強い気持ちです。
愛夢舎のモットーです。
「願えば叶う」。
同じことです。
本当に強い願いであれば、
その願いがかなうように、自分の体は勝手に行動するのです。
「100点とりたい」という子がなかなか勉強しないのであれば、
それは、本当にとりたいと、強くは思っていないのです。
だから、合宿中の生徒の変化は、
テスト中の姿勢と解答用紙の文字を見れば分かる。
一目瞭然です。
初日とはまったく別人が書いたような字であるから。
そして、合宿で英語と数学しかやらなかったとしても、
その姿勢は意外なところで強みとなって表れるのです。
注意力が最も必要とされる教科。
国語の成績も伸びるのです。
あまり長くなってもよろしくないので、
もう随分長いのですが、
初回の合宿についてのコメントは、この程度に。
Kama