~14年目の今年、「原点回帰」をテーマに、
「愛夢舎ヒストリー」を、
序章から再掲載しております。
現時点で、全33章。
各記事の一番下に、
次章へのリンクがあります。
どうぞお楽しみください~
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(【第2章】にもどる)
小田切直之の「塾経験」は、大変長い。
初めて経験した「塾」は、中学2年生のときであった。
「できれば、通うのに不便でなく、
それなりのレベルの都立高校に進学したい。」
高校受験を意識した小田切が、
自分自身で通うべき塾を探した。
ひばりが丘(現・西東京市)は
「大都会」と言うほどの町ではないが、
それでも両手の指では数え切れないほどの数は、
迷うべき塾があった。
「決め手」は何だったろう?塾長の人柄だろうか。
ともかく、あまり聞いたことのない、
老舗ではなさそうな塾に通うことになった。
普通の一軒家を改造してやっている塾だった。
なんでも、塾長はもともと家庭教師をしていたが、
「良い先生だ」という評判が広まり、
いっそ「塾」という形でやった方がよいのではないかということで、
家を改造して始めたらしい。
狭い一軒家の塾の割には、ずいぶん多くの生徒がいる。
こうして、小田切の進学塾通いが始まった。
翌年、小田切は見事第一志望の都立高校への進学を果たし、
高校受験を成功のうちに終えた。
彼は高校生になってもその塾に通い続け、
3年後、現役で大学受験に成功することになる。
大学生になっても、塾との縁は切れなかった。
そもそも、野外教室やらスポーツ関係のイベントやら、
勉強以外の企画が多く、そこにこの塾の魅力を感じていた部分もあった。
だから、大学に進学して「卒業生」となってからも塾のイベントには参加していた。
そうこうするうちに、いつの間にか塾で後輩を教えることになった。
小規模の塾では、元生徒が講師として教壇に立つことも多い。
小田切も何人かの同窓生と一緒に、
自分の育った塾に「学生アルバイト講師」として残ることになった。
塾に通い始めて4年が経った頃のことである。
就職活動はしなかった。
塾長に「このままウチでやらないか」という誘いも受けていたし、
小田切自身、この仕事が気に入っていた。
ほかの業界や、ましてほかの塾での仕事を探す必要もなかった。
自然、彼は「学生アルバイト講師」から「正社員」となって、塾での勤務を続けた。
何年も勤務を続ける中、色々な人の出入りを見てきた。
毎年送り出し、また新たに迎える生徒はもちろんのこと、
職員の出入りも激しい。
自分のように、アルバイト講師から始める学生もいる。
辞めていく職員もいる。
かと思うと、正社員を目指して応募してくるヤツもいる。
・・・佐々木 圭が新入社員として「塾」に加わったのは、
小田切が23歳のときのことであった。
~【第4章 『西武池袋線最強』の塾】につづく