|
テーマ:ベトナム好き集まれ(2187)
カテゴリ:カメラ画像入り確定レポート
この連休の東北旅行ボケが直りません。それにしても不細工な行程でございます。我ながら情けない。これに比べて、鉄の大家ibukino-johさんの旅程の研ぎ澄まされていること。10月1日のダイヤ改正で消える列車に、DMVを絡め、繊細なガラス細工のような行程です(現在連載3回目、必見です)。それに比べて今回の私の行程の不細工なこと。反省しきりです。この3月の18きっぷシーズンの私の旅程はそれなりに磨かれていたのですが…。なんだかセンスが鈍ってきたみたいです。 話は変わりますが、私のブログには、いわゆる「迷惑コメント」が集中的に押し寄せる日記がございます。「南米点描(14) Intrepid」と言う題名が引き寄せると思うのですけど…。外国から妖しいコメントが滝のように押し寄せます。実に壮観になっております。はい。 で、ベトナムに戻ります。前回の日記では、旧南ベトナム大統領官邸の地下の一部をご紹介しました。今回はその続きでございますね。 今回ご紹介するのは「WAR ROOM」です。戦闘指揮所というより、戦略司令部という語感でございますね。1975年南ベトナムが北の共産主義者にすり潰される時期、ここで絶望感溢れる戦争指導がなされていたのでしょうねえ。 大統領のシートでしょうね。奥の壁に貼ってあるのが、今は亡きベトナム共和国の地図でございます。ベルリン相当官邸地下壕もこんな感じだったのでございましょうか…。「裸足のベトコン」と言う印象が日本では流布されていましたが、1972年以降の北ベトナム共産軍はソビエト製の粗悪戦車(モンキーモデルと言う奴ですね)を基幹に据えた、実に東側らしい軍隊になっていました。南ベトナムへの最後の侵攻は、戦車梯団による縦深突破戦術でございました。ソビエト赤軍が復讐に燃えて、弱体化した第三帝国国防軍を圧倒的な戦車で蹂躪突破して行く姿を髣髴とさせるものであったと言われております。 ちなみにモンキーモデルと言うのは、ソビエト赤軍独特の仕様の兵器のことでございます。ソビエト赤軍では、戦車やジェット戦闘機などの「工業製品」については、当初設計の段階で平時モデルと戦時モデルを用意します。戦時モデルは、自動装置や換気装置などを徹底的に省いたものです。もちろん、能力は戦時モデルの方が劣ります。この戦時モデルを大量に生産し、中東やアジアに「友好価格」で大量に輸出するのが、当時のソビエト連邦の常套手段でした。安かろう悪かろう、なんです。同じ形式(T55とかT62とか)であっても、ソビエト赤軍が使用するものと、遠隔地の友好国が使用するものでは全然能力が違うのでございます。このような戦時モデルを西側では「モンキーモデル」と読んだのでした。 ガラリと雰囲気が変わります。厨房でございます。 大統領の自動車のようです。 今度は上の方の階に上がりました。 南ベトナムの地図でございますねえ。消滅国家の痕跡は魅力がございますね。 南ベトナム大統領執務室だそうです。北ベトナムも凄いことを散々やってくれましたが(テロの規模と件数では世界史上有数でしょうし、都市住民の強制移住、厳しい国民監視体制…、出身地差別政策…)、南も負けず劣らず凄まじい虐殺をやってくれました(サーチ・アンド・デストロイ…、何となくベトコンっぽい農民を、裁判無しでガンガン処刑する作戦です)。いかにも悪いことを考えそうな雰囲気を感じるから不思議なものです。ショッカーの秘密基地みたいな感じです。 ここからはおまけです。 この連休に乗った「開業120周年記念号」の盛り上げをやってくれた「ミスピーチ」の一員の栗原裕子さんです。 公式ホームページによれば、ご趣味はテニス・油絵・ベリーダンスだそうです。好きなくだものは、モモ・ミカン・ナシだそうです。桃と梨は許せますが、蜜柑は福島県では余り作っていないような気もしますが…。 遅れましたが、「ミスピーチ」とは福島県くだもの消費拡大委員会が組織するキャンペーンクルーだそうで、福島県生産の果物の消費を各地で訴えると言うお仕事をしているそうです。 今回はここまでにさせていただきます。 【昨日のマイレージジャンキー的な成果】 朝食(SUICA) 4マイル(JL) ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH) 良ければ一票お願いします。 過去の旅行先の一覧はこちらに! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[カメラ画像入り確定レポート] カテゴリの最新記事
|