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カテゴリ:旅
最近、福田村事件という映画が話題になっている。関東大震災の直後の混乱の中で、香川県からやってきた行商団15人のうち幼児や妊婦を含む9人が、千葉県福田村と隣の田中村の自警団により殺害されたという実話に基づいた映画である。この事件そのものはながらく忘れられていたが、人権団体により事件の調査が行われ、2003年に慰霊碑が建立されたという。 映画そのものは見ていないのだが、福田村事件というのは印象に残っていたため、千葉方面に車を走らせていた時、スマホの地図に福田村事件慰霊碑とあるのを見つけ、まよわず訪れることにした。ところが地図の指定する場所にいってもそれらしいものはみあたらない。すぐそばに空き地はあるのだが、公園という感じでもないし、慰霊碑らしいものもない。イメージとしては公園や道路わきに碑が立っている光景を想像していたのだが…。もう一度、辺りを見回してみると、塀の上に観音像が立っているのがみえる。塀に沿って道を上ってみると、そこは寺になっていて、観音像は墓地の一角にあるようだ。観音像は慰霊碑とは関係なかったのだが、寺に入ってみると、慰霊碑はその隣の霊園にあった。表には福田村事件追悼慰霊碑とあり、裏には犠牲者の名が刻まれている。ただ、慰霊碑の前には撮影禁止の注意書きがあり、誰にどう配慮したものかと不思議に思ったのだが、被害者の行商団が差別されていた人々だったということとも関係があるのだろう。 行商団が殺害されたのは、朝鮮人に間違われたのだと言われる。しかし、当時の行商団というのは、村人からすればよそ者であり、震災後の不安な心理の中では得体のしれない人々とうつったということも考えられる。誰かが興奮して敵意を向けると、付和雷同するという集団心理もあったのかもしれない。 慰霊碑にはただ名が刻まれているだけで、この人々が殺害されたという事実には一切ふれていない。慰霊碑表面の「福田村事件」という記載から、単なる事故や災害ではない、なにかがあったということが推測できるにすぎない。 考えてみれば、福田村事件は、地域にとっては負の歴史である。時間が経過したとはいえ、できれば忘れられていた方がよいと思う人もいるだろう。殺害の背景についても、本当に朝鮮人と間違えたのか、行商団という人々に対する別の意識があったのかも検証のしようもない。従って書き方も難しい。 さらに推測してみれば、慰霊碑の場所が殺害現場となった場所や道路わきなどの公共の場所ではなく、霊園の一角となったのも、行政の側が慰霊碑建立に積極的でなかったことが背景にあるのかもしれない。 歴史的事実には後世に語り伝えたい誇らしいものもあれば、その逆のものもある。その逆のものである負の歴史というものは、ほっておくと埋もれがちとなるのであるが、むしろこうしたものこそ後世への教訓として残していくべきものであろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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