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カテゴリ:キリシタン
【伊那谷のキリシタン地蔵】 伊那市手良中坪にある曹洞宗清水庵の観音堂の裏に祀られています。「隠れ切支丹」のものだといわれています。しかし、彼らは本当に隠れていたのでしょうか。伊那谷も会津と同じで、全域がキリシタンになっているという説もあるようですが、村の中の一部の家がキリシタンになったとか、一部の村がキリシタンになったとは考えづらいのです。 何回も記してきましたが、土豪がお寺を建て僧侶をそこに住まわせ、自分の家の菩提寺にしていたとされていますが、これはある種のステータ・スシンボルで、そうした家の人々が戒を受けて僧侶になったとは考えられません。そして、死後に戒名を付けられていますが、その戒名が付けられたのが死の直後であったかどうか。室町時代の人物の戒名を見ると、そのほとんどすべてが宗門人別制度施行以後の戒名の付け方と同じであることが多いように思えます。 一般的に、戒名の形式は浄土真宗系の宗旨以外では、ほとんど同じように思えます。院号・道号・戒名・位号という形式は、平安仏教寺院でも禅宗でも、あるいは浄土宗や時宗でも変わりがありません。ただ、原則として、浄土宗では「譽」という漢字が、時宗では「阿」という漢字が使われています。そして、院号の上の院殿号に関しては、会津では農村にそれが彫られている墓石があるケースもあります。 そして、こうした石像が、本堂が観音堂であるという曹洞宗のお寺(庵)の裏にあるということが不思議でなりません。胸のところにラテン十字が彫られています。着衣がこうした形になるとは思えません。このキリシタン石像は、インターネット上で公開されているので、場所を明らかにしました。伊那谷にはこうしたキリシタンの石像と思えるものだけでなく、キリシタンのモノがかなり広範囲に分布しています。この村に限ったことではありません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.05.20 15:37:20
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