|
カテゴリ:キリシタン
【旧高遠藩領内の石仏・石碑 IX 】 昨夜最後にご紹介した石仏があるお寺の、山門を出たところにこの「庚申」と彫られた石碑と「青面金剛」石仏がありました。上の写真の左側に写っているのが下の写真の「青面金剛」石仏です。この石仏も、舟形光背の上部が人為的に破壊されています。この破壊されたところには、しかし、一体何が彫られていたのでしょうか。 そして、この「庚申」碑には、「當村」「講中」と左右に分けて彫られています。ということは、この村には「庚申」講があったということだろうと思いますが、山門を出たところにこれが祀られているということは、お寺とは関係がないということなのであろうと思われます。 それにしても不思議なことです。宗門人別制度が施行される前から、こうした「庚申」講があったのでしょうか。それとも、宗門人別制度が施行されてから、村人の中に「庚申」のマツリが伝わって、講が形成されたのでしょうか。会津では、伊勢講や観音講、あるいは古峯神社講は今でも残っているところがありますが、庚申講があるということを耳にしたことがありませんし、管見の限りでは、各市町村の『市町村史』に庚申講のことは記されていないようです。 気象庁のデータを見たら、今日出掛けた地域では昼前に、局地的な雷雲が発生したようです。夏になると、毎日のように雷雲が発生するところなのですが、昨日の段階ではそれを予測することは出来ませんでした。「明日また行きたい」と所長に言ったのですが、「27日には会津へ帰るから、明日出掛けたら荷物を作れないだろ!」と叱られました。梅雨になる前に、また出掛けることにしました。もしかすると、一日では撮りきれないかもしれないので、1泊2日で出掛けます。ネットで探すと、1泊朝食付きの安いビジネスホテルがあるかもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.04.25 20:33:39
コメント(0) | コメントを書く |