|
カテゴリ:キリシタン
【会津の石碑 V 】 前述の石碑と同じところに建てられていた石碑です。「明治四未年 南無阿弥陀佛 四月十七日 村中」と彫られています。(但し、「陀」が<こざとへん>に「色」になっています。この異体字は非常にめずらしい異体字のようで、手元にある異体字が載っている字典を探して見なしたが、『金石異體字字典』(雄山閣)にも載っていません。もしかすると、これを書かれた方の創作文字かもしれません。しかし、何故、「陀」の旁を「色」と書いたのでしょうか。 明治四年は歴史年表ではキリスト教が解禁された年です。しかしこれは、各県令に文書で伝えられたもので、一般にはあまり知れ渡っていなかったようです。福島市でも、キリスト教の集まりを届け出たのですが、不許可になっていて、その史料が福島県立図書館にあるそうです。また、明治4年には会津は若松県になっています。若松県が旧福島県と合併したのは明治9年8月21日だったそうです。会津若松市街地は第二次世界大戦末期に空襲を受けていませんから、もしかするとこの時の通達が残っているかもしれません。 慶應四年三月十三日(1868年4月5日) 太政官布告「神仏分離令」 こうしたときに流れの中で、「陀」を異体字にした理由は何だったのでしょうか。「陀」は「仏陀」「陀羅尼」等に使われている漢字です。何故この字を異体字にしたのか。この村には、もしかしたら、伝承が残っているかもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.05.01 17:20:33
コメント(0) | コメントを書く |