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【伊那谷の修験道】
前述の石碑と同じところに建てられていました。右側の写真に写っている石碑は、それほど古いものではなさそうです。「秋葉山大権現」「金比羅大権現」と彫られているようですが、字体をかなり自由に変えています。左側の写真に写っている石碑の「普門品(ふもんぼん)」は法華経にある観世音菩薩普門品のことです。この普門品に関しては、検索してお調べ下さい。小生は説明出来るほどよく判っていません。
湯殿山も富士山も立山も修験の山です。日本の高い山は、その多くが修験の山になっていたようですが、宗門人別制度が施行されて、お寺の檀家になりながらも、修験道の像をお参りする習慣は、会津では近年まで残っていました。もしかすると、現在も続いているところがあるかもしれません。あるいは、修験がすんでいたという場所が残っているところもありますが。建物は残っていません。
そして、伊那谷には修験のものが数多く残っていますが、秋葉街道から離れたところに多いように思えます。この村は、秋葉街道からはかなり離れています。しかし、秋葉街道沿いにも気になるものが数多く残っているのですが、これらの石碑が建てられている村の周辺にも、気になるものがかなり残っているのを、この写真を撮った日に気が付かされました。
極端な表現をすると、「伊那谷はどこへ行ってもキリシタンの痕跡が残っている」と言うことが出来ます。これは旧高遠藩領内でも同じです。あの<ΑとΩ>が彫られた観音菩薩石仏などはその典型的なものです。これも会津と同じです。会津には、ここでご紹介したことのある「メム観音」が残っています。小生にとっては、こうしたものが何故、重要文化財として保護されないのか不思議でなりません。