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テーマ:会津の風景(427)
カテゴリ:会津の風景
【会津の風景】 この3枚の写真も昭和村で撮った写真です。雪が少ない年でも、小さな墓石はみんな雪の下に埋もれてしまいます。下の写真は、石灯籠型の六地蔵がある場所を撮った写真です。この石灯籠はここでも写真をご紹介したことがありますが、地面から最上部までだと、小生の背よりも高いです。雪が少ない冬でもそれがこのようになってしまいます。 ですから、たとえ冬期間にキリシタン穿鑿のために代官所から役人とその配下の武士たちが来たとしても、墓地に何があるかは判りません。あるいは、雪のない時でも墓地の草刈りが行われていなければ、色々なものが雑草に隠れてしまいます。最近ふと考えさせられることがありました。お盆の前になると村をあげて墓地の草刈りをするのですが、こうした習慣は江戸時代にもあったのではないかということです。 田植えが終わったあとも、毎日田圃へ行き、畦の草刈りをしなければなりません。田圃の水の水位調整をしなければなりませんし、様々な仕事が次から次にあるようです。最近は便利か機械が出来ていますが、江戸時代には機械と言えるようなものはありませんでした。お盆の前に墓地へ行くと、小さな石仏が見えなくなっていることはよくあります。 村の中で亡くなられた方がいらっしゃると、その時には草刈りをして、六尺ほど穴を掘ったようにもお思えてきました。死者を埋葬するという習慣も、宗門人別制度が施行されてからのようです。ただ、キリシタンはそうした習慣を継承していたと考えられますが‥‥‥事実、会津で一番古い一般民衆の墓石は寛文期のもので、郡山で「切支丹墓碑」と言われている墓石と同じ形をしたものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.03.20 17:18:07
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