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カテゴリ:信濃の風景
【伊那谷の風景】 これは伊那谷のとある村です。この村はかなり手前から見えるのですが、城跡が真っ赤になっているのに驚きました。2010年5月22日のことです。このツツジで真っ赤になっているところが城跡なのですが、土を盛り上げて造ったものではなく、奥の山から続いている尾根に城を築いています。 ネット上にある伊那谷の城跡のリストでは「城主不明」になっていますが、地元でははっきり判っています。しかも、この城主は保科正之公の重臣の一人で、当然のこととして山形最上経由で会津に入って来ていますし、同じ姓のお宅を小生も何軒か存じ上げています。そして、こうしたことをこの村の方々はよくご存じです。 伊那谷を巡っていると、会津にある姓のお宅が多くある村々によく出会います。小生はそれが気になって、博物館で一般に公開されている住宅地図を写真に撮らせていただきました。会津には、保科姓のお宅はまったくありませんが、旧高遠藩領内では保科姓の家々が多数ある村がいくつかあります。あるいは、保科松平家の重臣だった人物の姓と同じ漢字表記の村がいくつもあります。 保科家が高遠に最初に住みはじめたのがいつであったか、まだはっきりしません。おそらく、京極高知が飯田城主になるよりも前のことであったのであろうと思われます。京極高知が飯田城主だった時代には、保科家は徳川家康に仕えていて、下総多胡の領主でした。ただ、『会津藩家世実紀』にはこの時代のことはまったく記されていません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.04.06 19:54:33
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