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カテゴリ:日本の未来
【「馬頭観世音」碑】 「出征馬匹供養 馬頭観世音 昭和十三年八月」と彫られた石碑が、前述の石仏と同じところに建てられていました。会津の村々を巡り歩いていると、会津からもかなりの数の馬が徴用されたのであろうと考えさせられます。農家から馬を徴用するということが、生産性を減殺するということを知ってか知らずか、かつての日本はそうしたことを平然と行っていました。 また、農家の長男だけでなく、次男も三男も徴兵されて戦死していることが彫られている墓誌に出会ったこともあります。最近の「国防軍構想」とTPPを考えると、日本は学習能力がゼロかと思わされることがあります。戦時中、米が足りずに栄養失調で亡くなった子供たちが大勢いたのではないでしょうか。配給米では足りずに、母親の実家へ米をもらいに行っていたとお話しして下さったご婦人がいらっしゃいました。「大きな荷物は背負えないので、妹と一緒に田圃道を〇〇まで行きました。」とおっしゃっていました。〇〇までは、車で三十分では行けない距離です。 小生が子供の頃には、親父が買い出し用に使っていた厚手の木綿地で出来たリュックサックが実家にありました。ここをお読み下さっている方々の中にも、そうした時代をご存じの方々がいらっしゃるだろうと思います。軍備以前に食糧の確実な確保をしない限り、国を守ることなど出来ません。前にも書きましたが、貨物船など、小さな魚雷一発でイカダになります。入力されたスクリュウ音に向かって突進する魚雷ですから‥‥‥。 プライム・ミニスターが迷彩服で戦車に乗ったら、その国は文民統制ではなくなります。しかし、ほとんどの新聞はそのことを書いていませんでした。あの時、かなりの新聞のサイトを探しまくったのですが、日本は過去とは異なった危険な方向へ向かって出帆してしまったようです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.06.15 17:17:04
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