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2013.09.11
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カテゴリ:歴史研究

        IMGQ6601_07_B.jpg

【城の石垣】

 2007年の夏の終わり頃、伊那谷をキリシタンの研究のために初めて訪ねたあと、塩尻で知り合いにあって少し話をして、時間があったので松本城を訪ねました。この時は、時間がそれほどなかったので天主閣には上がりませんでした。

 それよりも、気になったことがあって、内堀の周囲を歩いて石垣の写真を撮ってきました。上の写真の右手前に写っている石垣の角の部分は「扇の勾配」になっているのですが、天主閣の石垣は「扇の勾配」になっていません。そして、大きな石の間に、小さな石がびっしり填め込まれています。明治初期に天守閣を修理した時に積み直したのでしょうか。気になります。少なくとも、築城時の石垣がそのまま使われたとは思えません。

 また、下の写真は本丸の堀に面した部分の石垣ですが、少し孕んでいます。この時にも、所長に「孕み」の意味を教えていました。ある石垣の専門家が書かれた本には、石垣は上から建物の重みが掛かると締まるように積まれていた、と書かれています。しかし、この石垣の上には塀もありませんでした。

 別に、孕んだからすぐに崩れるわけではありません。会津の鶴ヶ城でも、確実に蒲生氏郷の築城時に積まれた石垣で孕んでいる部分があります。慶長十六年(1611)の大地震で天主閣が傾いた時にも、その石垣は崩れていません。しかし、今ではもう、その石垣の積み方を修得している石工はいません。歴史の遺産を継承するということは大変なことだと痛感させられています。






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Last updated  2013.09.11 08:51:51
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