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カテゴリ:キリシタン
【保科郷】 長野市中心部から南の方へいったところに、若穂保科というところがあります。菅平に抜ける道沿いにあるのですが、2003年10月9日に、伯母と従姉の娘を乗せて出掛けました。前の日には伯父の一周忌を終えていたので、伯母の気分転換にもなるだろうと思って、太郎山の土手っ腹をぶち抜いたトンネルを初めて走りました。 上の写真に写っている山の上に、保科家の山城があったそうです。保科家が保科郷にいた頃には、戦国時代末期から建てられたような城はありませんでした。平坦なところに館があり、敵が攻めてくると山城に立て籠もって戦いました。現代でも、強固な要塞を陥落するためには3倍の軍事力を必要とするとされていますが、この時代も同じだったようです。 そして、保科家の館跡にはお寺が建てられているのですが、下の十字墓はそのお寺の境内にありました。不思議なことなのですが、この十字墓も小生がキリシタン方位角と呼んでいる方向を向いています。そして、十字墓ではありませんが、信州の武家の家の庭には、石祠が置かれているところがあります。小生が見た石祠野中には何もありませんでしたが、稲荷神の石祠のようです。 昨日、『真田町誌 民俗編』に興味深いことが書かれているのを見付けました。炭焼きに関する部分なのですが、炭焼きをする山や沢の名前が書かれているところに「保科へかけての山」と書かれていました。真田と保科は菅平を挟んで反対側にあります。また、切支丹伝承が残っている「穴観音」がある小布施町は、菅平から保科郷よりは北の方に下りていく道を走っていったところにあります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.09.11 10:25:43
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