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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の「子安観音」像】 この「子安観音」像に最初に出会ったのは、2004年12月4日でした。小さなデジカメで写真を撮って来たのですが、その中にこの「子安観音」像が写っていました。これにも乳房が彫られています。菩薩に乳房はないことは、これまでに何回も記してきました。あり得ないことなのですが、会津にもこうした像が残っていることは事実です。 あるお寺のご住職は、この「子安観音」像の写真をご覧になって、「これは仏ではない」とおっしゃいました。そしてそもそも、この「子安観音」像が残っているのは、浄土宗のお寺が建っていたところに、こうした像を祀るためだけに建てられた建物の中です。現在では、禅宗のお寺に観音菩薩像が祀られていたり、念仏系のお寺に観音菩薩像が祀られていることがありますが、本来はあり得ないことです。これも、とある曹洞宗のお寺のご住職に確認したことがありました。 ただ、会津のキリシタン研究では、こうしたことが何故起こったのかを考えざるを得ません。なにしろ、こうした像が何故、こうして残されてきたのかを考えざるを得ないからです。ここでも会津に残っている様々な「子安観音」石仏や「子安観音」石像をご紹介していますが、『儀軌』という仏典に「子安観音」がない以上、そしてこうした乳房のある「子安観音」像が残っている以上、「子安観音」はすべてキリシタンのものであると考えざるを得ません。 保科松平会津藩は、こうしたことを勿論知っていたと考えられます。保科正之公の家老の中に、キリシタンがいたわけですから、当然のことであろうと思いますが、他にも『会津藩家世実紀』にの越されている記録から、キリシタンだった武士がいたことも間違いないと思われますし、会津のキリシタンを考える上で、極めて重要な記録が『会津藩家世実紀』に残っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.04.06 07:52:13
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