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テーマ:キリシタン(4919)
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【会津磐梯山と猪苗代】 去年の夏の終わり頃に、猪苗代を少しゆっくり巡ってみました。8月26日のことです。会津に残っている不思議な習慣に関する伝承の中に、磐梯山が出てきます。それを初めて耳にした時には、大変に驚きました。それはとあるお堂に残っている習慣なのですが、非常に不思議なことなのです。 このことに関しては、拙著『会津キリシタン研究II』に少し記したのですが、その伝承をある方からお伺いして、その習慣の初めは間違いなくキリシタンの習慣であったことが見えてきました。蒲生氏郷の時代のモノが残っているのですが、仏教寺院はまだ死に関わるイニシエーションに関わっていない時代です。そして、仏教の宗旨を超えて、その習慣が守られていることも不思議に思えていたのですが、そうした不思議さがすべて解決しました。こう記すと、会津で生まれ育った方々は、どこで行われているどういう習慣かお判りになられるだろうと思います。 また、下段の写真は川桁山という山を撮った写真ですが、この山の向こう側に「天狗角力取山」というピークがありますが、「てんぐのすもうとりやま」と読みます。そして、この川桁山系には、中通りから会津に通じている間道があったという伝承を耳にしました。そうした間道を通って、中通りから会津へ入って来た人々とは、どのような人々だったのでしょうか。二本松の霞ヶ城を訪ねた時に、あの周辺にあったお寺も訪ねたのですが、「やはりそういうことか」と思わされたモノが残っていました。 そして、そうした猪苗代=磐梯山の麓に、保科正之公のご希望で墳墓が築かれ、土津神社が建てられています。会津へお出かけの際は、是非、猪苗代をゆっくり巡ってみて下さい。必ず、何か不思議なモノに出会えるはずです。そして、1979年3月19日に猪苗代に住み始めた頃に不思議の思えたことが、今ごろになってやっと理解できるようになりました。会津のキリシタンは、一般的に理解されているキリシタン史とは大きく異なっています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.04.25 15:40:41
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