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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【信濃のとある庵の近くにて】 前述の修道院からそれほど離れていない、田圃の間にあった墓地でであった墓石です。上の2基には「一」が彫られています。下の左側の墓石には「空」と彫られていて、右側の墓石の右側の戒名は「一」で始まっています。これだけで、この一帯にもキリシタンが広がっていたことがはっきり判ります。 この「空」は禅宗であれば使うのではないかと思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、墓石には戒名以外のものは逝去年月日以外は彫らないのが原則です。2010年10月1日に初めてあの修道院をお尋ねした時は、前日に伊那谷を訪ねて、伊那谷で一泊したあと、高速道路を通らずにあの修道院まで行きましたが、途中でも不思議なモノに出会っています。 これらの写真の背景に写っている白い花は蕎麦の花です。減反で、田圃を蕎麦畑にしたようです。単年度決算しか出来ない政府では、この程度の対応しか出来ないのであろうと思うと、政府は日本の農政を真剣に考えているかどうか、非常に悩みます。特にこの辺りは、標高の高いところです。中央高速で一番高いところがあります。そこを開墾して、米を作り続けてきたのですが、生産性はかなり低かったであろうと思われます。それでも、農家は先祖伝来の田圃を守り続けて来たのです。「東京に出荷する野菜を作ったらいい」という方がいらっしゃいましたが、野菜は手間が掛かります。高齢化した農家では無理です。 ローマ・カトリック教会の方々で、あの修道院をお訪ねになられたら、是非、あの修道院の周辺を巡ってみて下さい。不思議なものに沢山で合うことが出来ます。場所は、シスターがよくご存じです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.05.14 14:39:02
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