薩摩兵児の謡(さつまへこのうた)
おいどま 薩州薩摩の醜二才色は黒くて 横這の小じっくい今じゃこげんして からいもどん喰っちょいどんやっがちゃ天下のご意見番さ「薩摩兵児の謡」さつまへこのうたと言います。♪おいどま さっしゅうさつまのぶにせ 醜二才・ぶおとこです。鹿児島の男性の短足色黒がっしりとしたブ男のことです。 よかにせといういい男も中にはいますが。♪いろはくろくて よこばいのこじっくい 横這いの小じっくい・がっしりした横に大きな体型のことです。♪いまじゃこげんして からいもどんくっちょいどん からいも・さつまいもです。 いまはこうしてサツマイモなんか食べているけれども♪やがっちゃてんかのごいけんばんさ いつかきっとご意見番や大物になるんだ~おおぶろしきでもいい。大志をいだいて行くぞ・・という自分自身への激励の歌です。実際に誰から習ったというわけでもありませんが。中学生や高校生男子はみな歌えました。何かのときには歌っていました。鹿児島には「郷中教育」ごうちゅうきょういく・・あるいはごちゅうきょういくが盛んでした。家臣やその子弟を教育することが目的の制度です。薩摩の藩士を二才にせ10代半から20代半の年代の若者と稚児ちご6.7歳から15歳くらいの子のグループに分けて集団で先輩が後輩の面倒をみて指導していたのです。もちろん江戸時代の話です。昭和の話ではありません。例えば西郷隆盛と大久保利通はこの郷中教育の同じグループのメンバーでした。私たちが高校生の頃まではこの伝統の切れ端がまだ地域に残っていました。残っているところもありました。私の通った中学の校庭の隅には三方限さんぽうぎりと呼ばれる地元の先輩たちの名が刻まれた碑が建っていたのです。三方限には西郷隆盛・大久保利通の名も刻まれていました。そんな地域で私たちは育ったのです。薩摩兵児の謡はそんな環境の中でいつか覚えたのだと思います。懐かしい歌です。勇気をくれた歌だったのです。長く聞いてはいませんが。