ラーメン屋さんで「昭和枯れすすき」がかかっていました
細川たかしが歌っていました。♪わたしバカよね。オバカサンよね。・・・です。布施明がシクラメンのかほりを歌ってかまやつひろしは我が良き友よ・・を野口五郎が私鉄沿線を歌ったのも昭和50年でした。まんが日本昔ばなしが始まって丹波さんはGメン75をやっていました。私の下宿のお家賃が\13,000けっこう高い方でした。国鉄の初乗り料金はたしか30円そしてすぐに40円に上がったように思います。定期券がひとつき1000円はしませんでした。部屋にはもちろんテレビなんかありません。ラジオのついたカセット=ラジカセがやってきたのはずいぶんあとになってからです。なんだか毎日が楽しくて眠るのも惜しかったような夜には下宿のみんなと閉店まぎわの銭湯に行っていました。それも毎日ではなかったです。けっこうきたない時代です。髪が長く伸びていたのはファッションではありません。ただ床屋さんに長く行かなかった・・それだけの理由でした。沢田研二が時の過ぎゆくままにを歌っていました。オフロ帰りにときどき立ち寄ったラーメン屋さんでは昭和枯れすすきがかかっていたような気がします。雨と雷が本格的な春の訪れを告げているかのようでした。雨はもうあがっています。