舞先生の死と、犯罪の防止
舞先生の死と、犯罪の防止 12月18日 「舞衣先生さようなら」子供たちは先生と切ない別れをした。舞先生にはまだまだ豊かな人生の夢が残っていたのに、悲しんでも悲しみきれないものがある。私はテレビで放映される舞先生の棺にはるか青森から手を合わせた。人は生まれた以上は必ず死が待っている。だが舞先生には、まだまだ遣り残したことがあったと思う。舞先生は子供たちをかばってなくなられたという。いくら悲しんでも、死んだ人はもう帰らない、舞先生は、きっと天国から子供らの幸せを見てくださっているに違いないと思う。舞先生あまりにも短い間でしたが、あなたの人生は充実した人生でした。駆け足でこの人生を走り、人の何倍もの人生を26年間で歩まれとことと思います。これからは住む世界が違いますが、「お祈り」で互いの心が通じ合えるものと思います。どうぞこれからも、子供たちを、守ってやってください。 日本はアメリカのように銃による事件がおおかなってきたように思われる。銃は猟銃が独り一丁にして、猟友会などで保管して、使用のつど持ち出すようにしてはどうだろうか。弾も1回の使用量が20発以内とか、その使用量を最小限にしなければ日本もいずれはアメリカのように銃犯罪が多発するかもしれない。暴力団の拳銃発砲事件も後を絶たない。これは水際で防がない限り、暴力団抗争は耐えないことであろう。今の日本は各種銃による発砲事件が耐えない。拳銃のごときは一般の人でも持っているに違いない。どのようなルートではいるかは図り知りないが、この貧困格差の激しい時代に、貧するものは藁をもつかむ思いで、心ならずもわが身を生かすために事件に手を染めているケースもあると思う。銃による事件を防ぐには銃の国に入るのを水際で防ぐと同時に、貧困格差をなくし事件の起こらない環境を作らなければならない。