カテゴリ:迷信のこと
『彼岸』とは、彼(か)の岸で、『あの世』を意味する(現世は『此岸』)
秋分や春分で、太陽が真西に沈むのが、『西方浄土』に通じるというので、『お彼岸』がこの時期を表す言葉になり、 『お彼岸』のお墓参りをされる人は多い。 (私は、混雑時を避けるので、お盆やお彼岸に参ったことがありませんが) 理屈から言えば、『千の風』になって私達の周りを吹き渡っている故人は、お墓にいるわけでなく、 『お浄土』は、生きている私達の心の中に存在するのだから、 『石』や『骨』にお参りするものではない。 お墓のない村、というのもあり。 『お寺』を通り越して、『お墓』だけ参るようなのは、本末転倒で、仏教徒ではない。 ・・・ぐらい、住職は説くべきでは? (葬式当日は遺族も上の空かもしれないが)一周忌のあたりでは。 たぶん、門徒に限らず、禅宗や天台宗などでもそうでしょう。 (明治以前には、一般人に「お墓」はなかった) で、細かいことに気付いたのが、「赤旗」お天気欄。 『お彼岸には、おはぎを仏壇に供え、先祖のお墓参りをします』 そりゃ、「する人」はいるかもしれないが、 「クリスマスにケーキ」 「バレンタインにチョコ」 「祇園祭に鱧」 …のレベル。 『・・します』と決めては、『みんなが言うから教』だよ。(3K新聞ならともかく…) ちなみに、彼岸法要をしてるお寺(本願寺派)の本尊に、 『おはぎ』は供えてませんでした。(仏壇に供えるのは、お仏飯と生花だけ、が原則) (※多分、八坂神社で『鱧』もお供えしない) (伏見の稲荷大社で、油揚げ・・・というのも、嘘です) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年09月26日 17時30分51秒
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