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カテゴリ:意気揚々
おはようございます。 先週は雨の1週間でした。 今日は快晴です。 さて、トップ画面は 『雪解けの北陸編』の際、お土産で購入した 石川製麺さんの天然塩ラーメン(アフェリじゃないですよ) 私は、ローカルの醤油や麺、みそ等 ご当地物が大好きで、これはその一例 で、今週末は嬉しい土日休。 以前にいただいた 優待券で ご当地の日帰り温泉に行って来ました。 すんぷ夢広場 ついでに、ロゴも宣伝させていただきます(義理を欠いたら人生おしまいですので) ここは、静岡の久能街道沿いに 徳川家康の城下町をフィーチャーした ほがらかテーマパークです。 城下町には演芸や芝居小屋、 昔の遊びを見せてくれる 町人さんが楽しい雰囲気を 見せてくれます。 無料の足湯もありますので、ちょっとした休憩にもおすすめです。 で、ここのいい所は 駅から 無料送迎バスが出ているところ 駅までは自転車にて ●さて、出発です。30分くらいの道のりを進みます ●到着しました おお~、城下町。いいかんじです。 さっそく、中へ入場(入場料はかかりません) 運営側の皆さんは、みんな町人着物で、その気にさせてくれます。 ●町芸人 この方は、大きなコマ状の物を 紐を張った二本の棒で 空中で、転がしていました。 空高く放ったと思えば、キャッチして。魅せてくれました。 ●遠くに駿河湾を臨む ・・・なぜ、この地に徳川家康がらみの施設があるというと 徳川家康のうんちく ・徳川家康は、三河は岡崎にて松平家の長男として生まれるが、2歳の時に母と生き別れ ・その後、6歳で人質として十数年の生活を送り、15歳の時、武士として初陣する。 ・19歳の時、岡崎城を取り、家康(松平家康)と改名し、西三河平定したり三河一揆を抑えたりし、23歳で三河統一を果たす。(たいしたもんだ)また 松平⇒徳川に改名 ・25歳で武田信玄と提携し、駿河から今川氏を追い出す。 ・その後、テリトリーを巡り、武田側がラインを越えて来たので(大井川から西が徳川、東が武田領)、敵対関係になる ・29歳の一言坂(三方ケ原:現在の浜松市郊外)の戦いで武田の無敵騎馬隊にケチョンケチョンに大敗する。 ★『影武者』はこの出来事を、視点を変え・別の切り口で捉えた 大作でした。 ・妙策、『空城の計』によりなんとか、武田側の侵略を一時的に逃れる 【空城の計】 第三十二計 空城計「空城の計(くうじょうのけい)」 三国志演義にて、魏の仲達が十五万の大軍を率いて、蜀の孔明の城を攻めた時の事。 その時、孔明の手元には二千五百の兵しかいなかった。 そこで孔明は旗を下ろし、門を開放し、兵士を隠して自分は城の上で優雅に琴を弾き始めた。 それを見た仲達は、これは何か裏があるに違いないと攻めずに、一旦兵を引いてしまった。 この策は、わざと隙を見せる事で敵の動揺を誘うものです。非常に危険で、窮余の策でもあります。 これは相手も知能的でないと、引っ掛かってくれません。 猪突猛進型の将だと、何も考えずに突っ込んでくるからです。正に、相手の裏の裏を読む心理戦と言えるでしょう。 (引用終わり) ・その後、武田信玄の病死により戦況が逆転し、さらに信長との連合軍で武田勝頼軍を鉄砲を活用し、破る(長篠の戦い)・・・この時32歳 ・で、本能寺の変で信長が倒れ、継いだ秀吉の家臣時代を経る ・43歳の時、駿府城に入り、47歳の時 (一員として)北条氏を打ち秀吉全国制覇なる(小田原征伐) ・で、家康はここで駿河・遠江・三河・甲斐・信濃の検地に1年を費やし、自国をマーケティングする。これが、江戸に入ってからのベンチマークとなる。 ・しかし、秀吉の暗略により、46歳の頃、この地から武蔵・伊豆・相模・上野・下野・上総・下総(神奈川~東京・埼玉・北関東)に移動させられる。建前的には石高が増えたが(150⇒ 250万石)、体の良い 追い払いですね。 ・ただ、転んでもタダで起きず、最適な人事(知事レベルの人事抜擢)を執行し、関東を統治する ・49歳の時、秀吉は朝鮮出兵を命令するが、家康には小田原平定の成果もあり免除。やはり運が良いです。 ・55歳の時、秀吉が死去。これに前後して大名同士の婚姻で政治的つながりで自分勢を増やす多数派工作を進める(まさに、セイジ) ・で、1600年の関が原の戦いで勝利し天下人となる(小早川秀秋へのアプローチがターニングポイントですね) ・で、徳川家は源家(源氏)の家計であると、家計図を整備させる。(力技 !?) ・1603年 朝廷から征夷大将軍を任命される。この時 60歳。60歳定年の昨今の現代において、これはスゴイ!(朝廷をも抱き込んだのが関白で終わった秀吉との違い。常にベンチマークからマーケティングしてますね。また、朝廷が徳川側にあることで豊臣側の再攻勢を牽制してるし) ・で、62歳で引退。大御所となる。で、この後 71才で豊臣家を大阪冬・夏の陣にて無きものとする。 ・75歳で薨去 視点・工作・政治すべてに戦略だってる人生。 ウンチク終わり ●で、場内を歩くこと数分 橋を渡った先に、大浴場。威厳があって良いですね。 演出上手です。 ●館内 歴史観ありながらも、ハイテクな施設でした。 くわしくは、コチラ ★さすがにお風呂は写真とれません。水没しちゃいますので で、疲れを取った私は、再びバスにて駅までゆられました。 ●ほかほかしながら 帰りのバスに向かう ●観光バスをたくさん入ってましたよ いい一日でした。 なんか、徳川家康特集みたくなりましたね さて、次回は手料理ネタです! また! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.04.13 14:43:38
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