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初めて塾の先生になったとき。
正確には初めて社員として塾の管理を任されるようになったときの思い出です。 自分は教室長として教室の管理をする仕事をすることになりました。 講師は全員がアルバイトで、地元の大学生がメインになります。 当時の塾は群馬の太田市にあり。 近所には太田高校、太田東高校と言った進学校があります。 個別指導の塾の室長が自分の仕事なのですが。 基本的には中学生がメインの塾になるはずでした。 しかし、場所的に高校生が集まる塾になってしまい。 大変な事になってきました。 室長の仕事をする前は、自分も中学生に高校入試の英語と社会をメインに教えているだけでしたので。 大学受験指導となるとまず無理です。 しかし、教室の看板には小~既卒まで、全科目対応と書いてあります。 今でも忘れられませんが。 浪人生が塾を訪ねてきました。 ○○大学目指したいのですけど・・・ 難関私立大学でしたが。 当時の自分は自信もないし、経験もないし。 でも、高校生もOKって書いてあるし、受け入れて合格させなければならないわけです。 場所は田舎で、募集をかけても講師はほとんど集まらず。 自分で教室管理をやりながら。 夜中に必死に勉強して。 必死に授業をする生活に追い込まれました。 2年目はなおさら講師が不足し。 高校生に数学を教える先生がいなくなりました。 しかし、生徒はいます。 なんと、自分が教えました。 前日に必死に予習します。 あまりにも難しすぎて、近所の塾に通って数学を勉強しようとしたくらいです。 質問された数学が分からなくて生徒がやめてしまった事もありました。 高校入試では全科目教えましたし。 大学入試では英語、現代文、古文、日本史、数学1、数学Aまで教えました。 講師がいなくていなくて、自分でやるしかなかったからです。 自分ではスキル不足なのは分かっています。 しかし、やるしかなかったのです。 自分が高校数学を教えるとか。 どう考えても詐欺ですけど。 やるしかなかったのです。 一時期全然講師が募集しても来ないときは死ぬかと思いました。 ☆☆☆ 一度、追いつめられてキツイ思いをすると人間は学習をするらしく。 また再び同じ状況に追いつめられても切り抜けられる様にするみたいですね。 昨日、どうして俺は数学に挑戦しているんだろうって考えていたのですが。 よっぽど、あの頃が精神的に辛かったんだろうなぁと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.07.14 15:46:14
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