テーマ:歴史を語ろうぜっ!!(185)
カテゴリ:日本史炸裂!!
宇都宮城が復活したらしいので、見に来てみました☆ 数年前に訪れた時は何も出来ていなかった宇都宮城ですが、 今回は公園として整備されて立派になっていましたよ。 周りには堀もあります♪ 犬の散歩をしている方が多かったです。 周りにはビルが建ち並び風情のない城でした。 もちろん天守はありません。 ☆☆☆ 係員の人もいましたので、質問していいですか~~? などと話しかけてみましたよ。 宇都宮城の歴代殿様を見ると蒲生秀行って人がいることに気が付きました。 先日、蒲生君平の史跡巡りをしたときに 蒲生君平が蒲生氏郷の末裔だという事を知ったので、 どういう経緯で会津の蒲生が宇都宮に移動してきたのかが気になっていた所でした。 ちょうど係員がいたので、 質問をしてみました。 「すみませ~~ん♪こちらの蒲生秀行さんは蒲生氏郷さんと、どういう関係なんですか?」 困ったようで本をペラペラめくりはじめてしまいました。 ふむう(横山光輝風) 急に赤本を持ってこられて焦る塾の先生みたいですね(爆) 「分からないなら結構ですよ、自分で調べますから♪」 結局、蒲生秀行さんは氏郷の子供だったわけですが、 歴代宇都宮の殿様を眺めていると蒲生の姓を名乗る殿様は1人だけなんですよね。 颯爽と現れ、あっという間に消えていくんです。 どういう事情なのでしょう?? そもそも会津の藩主だった蒲生秀行なんですが、 簡単に言うと秀吉によって会津から宇都宮に左遷させられたって事なんですね。 会津には代わりに上杉景勝が入ってます。 小山評定のネタを書いた時に家康が会津の上杉を懲らしめるために北上したって書きましたが、 なぜ越後にいたはずの上杉がいつの間にかに会津に移動しているかと言えば 蒲生が宇都宮に飛ばされた後釜として入ったからなのです。 しかし、関ヶ原の戦いで結局東軍が勝つじゃないですか。 そうすると家康は、にっくき上杉を会津から僻地へ吹っ飛ばします。 上杉は会津から米沢へバシルーラです。 会津に誰もいなくなりますよね。 そうすると宇都宮にいた蒲生が再び会津に戻る事になるというわけですね。 だから、宇都宮にほんの少しだけ蒲生が現れるという事なのです。 いろいろ複雑ですよね。 この時代は。 でもこの蒲生が会津から宇都宮へ左遷されたきっかけである秀吉の背後に!! もしこの人物がいるとしたら、 上杉を会津に移動させるための作戦の一部かもしれませんよね。 上杉を会津に移動させ、 会津と佐和山で家康を挟み撃ちにして倒す!! その伏線を張っていたと考えると なかなか面白い。 無理な考えかもしれませんが(^o^) そうやって妄想するのが楽しいのです。 それでは宇都宮城の動画をご覧下さい♪ ぐるりと撮影してみました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.07.08 15:59:43
[日本史炸裂!!] カテゴリの最新記事
|
|