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「教会の三つの面」
甲斐慎一郎 使徒の働き2章37~47節 新約聖書は、教会というものを次のような3つのものにたとえて 教えています。 ◇教会はキリストのからだである(エペソ1章23節、コロサイ1 章18節) ◇教会は神の家族である(第二コリント11章2、エペソ2章19 節、5章32 節) ◇教会は聖霊の宮(神殿)である(第一コリント6章19節、エペ ソ2章20~ 22節) 一、キリストのからだ――教会の生命的な面 教会はキリストのいのちが躍動している生きたからだです。それ は新しく生まれ変わった多くのキリスト者から成り立っている生き 物です。ひとりひとりのキリスト者が弱くなれば教会も弱くなり、 ひとりひとりのキリスト者が強くなれば教会も強くなります。 教会はそれ自体一つの人格を持っているかのようです。聖書は、 「教会は……平安を保ち」(使徒9章31節)とか「諸教会は、その 信仰を強められ」(同16章5節)と記しています。 教会はキリストのからだです。それは文字どおりキリストをかし らとするからだであり、キリストの手足です。教会はかしらである キリストの命じるままに歩むだけでなく、キリストの使命を遂行す るために労し、働き、また戦う手であり足なのです。 二、神の家族――教会の家庭的な面 教会は、神の家族です(エペソ2章19節)。家族には3つのきず ながあります。第一は夫婦のきずなであり、第二は親子のきずなで あり、第三は兄弟姉妹のきずなです。それぞれのきずなに愛と交わ りと信頼があります。 キリストは花婿であり(マタイ9章15節)、教会は花嫁です。こ れは夫婦のきずなです。神は父であり、キリスト者はみな神の子ど もです。これは親子のきずなです。キリスト者同士は互いにみな兄 弟姉妹です。これは兄弟姉妹のきずなです。これらのきずなは、愛 と交わりと信頼によって保たれていくだけでなく、いよいよ深く親 密になっていくのです。 三、聖霊の宮――教会の組織的な面 パウロは、「あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てら れており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。この方にあっ て、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となる のであり、このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、 御霊によって神の御住まいとなるのです」と記し(エペソ2章20~ 22節)、教会を聖霊の宮や神殿にたとえています。 そして「キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、あ る人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったので す。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのから だを建て上げるためであり」と述べています(同4章11、12節)。 教会の設計者は神であり、神は永遠の計画と目的をもって教会を 神的な組織と制度によって秩序正しく建て上げ、教会の使命である 福音宣教によって神の国をつくられるのです。 四、健全な教会の姿 聖書が教えている健全な教会の姿は、これらの3つに均衡と調和 がとれていなければなりません。もしからだとしての生命的な面だ けが強調されるならば、神秘主義的な教会になるでしょう。また家 族としての家庭的な面だけが強調されるならば、社交主義的な教会 になるでしょう。そして神殿としての組織的な面だけが強調される ならば、階級主義的または形式主義的な教会になるでしょう。 私たちは、長い教会歴史の中に、そして残念なことに現在ある教 会の中にさえ、このような脱線した教会があることを知っています。 しかしこれらの教会を見て、聖書の教えを捨ててはなりません。聖 書が教える教会は、正しい意味において神秘的な面があり、また霊 的、信仰的な交わりがあり、そして神的な組織と制度があり、これ らの3つの面は、1つが他のものを排除したり、破壊したりするこ となく、共存するものなのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.11.17 19:16:21
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