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「主を待ち望む幸い」
甲斐慎一郎 イザヤ書30章18節 「それゆえ、主は、あなたがたを恵もうと待っておられ、あなた がたをあわれもうと立ち上がられる。主は正義の神であるからだ。 幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は」(18節)。 この箇所には「待つ」という言葉が2回記されています。一つは、 「神が私たちを恵もうと待っておられること」であり、もう一つは、 「私たちが神を待ち望むこと」です。しかし神が私たちを恵もうと 待っておられるのに、なぜ私たちは神を待ち望まなければならない のでしょうか。このことに関して聖書の中から学んでみましょう。 一、私たちは、待たされることによってのみ願望が増し加わ るからです ローマ人への手紙の8章には、文語訳において3回「待つ」とい う言葉が記されています(19、23、25節)。これは原語においては、 「熱心に待つ」(25節、新改訳)とか、「強く期待する」という意 味です。 まず人間は待たされるとどうなるでしょうか。ある人々は待たさ れると、求めることをやめて、あきらめてしまいますが、他の人々 はますます熱心に求めて、その願望が増し加わるのです。 私たちが一つの物事を最後まで成し遂げるために必要なことは、 強い願望であり、熱心な意欲です。大志や大望また大願を抱かずし て物事を完全に成し遂げることはできません。そして私たちは、待 たされることによってのみ、願望が増し加わり、期待が強くなるの です。 二、私たちは、待たされることによってのみ忍耐が生じるか らです 使徒パウロはローマ人への手紙の8章において「忍耐をもって熱 心に待ちます」(25節)と言い、ヤコブも「耐え忍んで待っていま す」(ヤコブ5章7節)と述べています。 次に人間は待たされるとどうなるでしょうか。ある人々は待ち切 れずに途中でやめてしまいますが、他の人々は最後まで耐え忍びま す。使徒パウロは、「患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性 を生み出し」(ローマ5章3、4節)と言い、ヤコブも「忍耐を完 全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたとこ ろのない、成長を遂げた、完全な者となります」(ヤコブ1章4節) と述べています。 私たちが一つの物事を最後まで成し遂げるために必要なことは忍 耐です。忍耐はあらゆる徳の基礎であり、耐え忍ばずして物事を完 全に成し遂げることはできません。そして私たちは待たされること によってのみ、忍耐が生じるのです。 三、私たちは、待たされることによってのみ準備が整うから です 使徒の働きの23章には「準備をなして汝の許諾を待てり」(21 節、文語訳)という言葉が記されています。またキリストは、「す ぐに戸をあけようと、その帰りを待ち受けている人たちのようであ りなさい」(ルカ12章36節)と言われました。 何事にも準備が必要であり、準備なしに物事を成し遂げることは できません。準備をするためには時間が必要です。そして私たちは 待たされることによってのみ準備が整うのです。「待つ」というこ とを知らない人は、忍耐がなく、わがままで、身勝手であるだけで なく、準備をしないで良い結果を得ようとする熱狂者です。 このようなことから神が私たちを待たせるのは、次のような理由 によるのです。 ◇神は私たちを恵もうと、私たちの願望が増し加わるのを待って おられます。 ◇神は私たちを恵もうと、私たちに忍耐が生じるのを待っておら れます。 ◇神は私たちを恵もうと、私たちの準備が整うのを待っておられ るのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.11.15 09:46:09
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