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東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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2007.08.19
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カテゴリ:カテゴリ未分類
「勝利の生活を送る秘訣(2)」
                    甲斐慎一郎
                    マタイの福音書、4章1~11節 

 3.キリストが悪魔の誘惑に勝利を得られた秘訣(4、7、10、
11節)

 イエスは、このような悪魔の誘惑に対して、ことごとく旧約聖書
の申命記のことばを引用して誘惑を退け、勝利を収められました。
 
 (1)悪魔の第一の誘惑に対する主の応答(4節)

 まずイエスが全人類の救い主となるためには、救い主として正し
いあるべき姿を生きなければなりません。それは肉体的な欲求であ
れ、精神的な必要であれ、霊的な求めであれ、ことごとく神のみこ
ころに従って生きることです。それでイエスは、神のことばによっ
て生きることを退けてまで、石をパンに変えて肉体的な欲求を満た
し、救い主として認められるような生き方はおできにならないので、
この誘惑を拒絶されたのです。

 (2)悪魔の第二の誘惑に対する主の応答(7節)

 次にイエスが全人類の救い主となるためには、救い主として多く
のなすべき事をしなければなりません。それは、すべてのことにつ
いて神に拠り頼み、「わたしがわたし自身からは何事もせず、ただ
父がわたしに教えられたとおりに」(ヨハネ8章28節)行うことで
す。それでイエスは、神を試みるようなことをしてまで、神殿から
身を投げて守られ、救い主としてあがめられるようなことはおでき
にならないので、この誘惑を退けられたのです。

 (3)悪魔の第三の誘惑に対する主の応答(10節)

 最後にイエスが全人類の救い主となるためには、「十字架の上で、
私たちの罪をその身に負」う(第一ペテロ2章24節)という通るべ
き所を通らなければなりません。「キリストは、必ず、そのような
苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいる」のです(ルカ24
章26節)。それでイエスは、神である主を礼拝したり、主に仕えた
りすることをやめ、悪魔を拝んでまで、十字架の道を避けて、栄光
に至るようなことはおできにならないので、この誘惑を拒否された
のです。

 イエスは、悪魔の誘惑を退け、完全に勝利を収められました(11
節)。その結果、ルカは、「イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに
帰られた」と記しています(ルカ4章14節)。この聖句は時間的に
は荒野の誘惑の記事の直後ではないかもしれませんが、霊的にはイ
エスは誘惑に打ち勝たれたことによって、さらに強くされ、御霊の
力に満たされたのです。

 二、悪魔の誘惑を受けるキリスト者

 私たちは、イエスが悪魔の誘惑を受けられたことを学びましたが、
このことは私たちキリスト者に何を教えているのでしょうか。

 1.キリスト者が悪魔の誘惑を受ける現実

 イエスが悪魔の誘惑を受けられたということは、キリスト者も悪
魔の誘惑をまぬかれることはできないことを教えています。いやキ
リスト者が神に近く生きれば生きるほど、ますます悪魔の攻撃を受
けると言っても過言ではありません。イエスが洗礼を受けられた直
後に悪魔に試みられたように、キリスト者も祝福と栄光を受けた後
に、激しい悪魔の誘惑を受けることが多いのです。

 ですから悪魔の誘惑を受けること自体は決して罪でも悪でもあり
ません。それでは悪魔の誘惑を受けた時、どこまでが罪でなく、ど
こから罪になるのでしょうか。

 「誘惑は最初に知性に訴えられます。瞬間のひらめきをもって、
思いに訴えられます。これは誘惑の最初の段階です。それから誘惑
は感覚のほうに移されます。そこで誘惑は、官能、肉欲、情欲、情
感に働きかけるのです。これらが満足を得たいと刺激される危険が
あります。今や誘惑の危険な段階に来ているのですが、必ずしも罪
責を生じるわけではありません。心が罪から全くきよめられていな
い人の場合は、誘惑は多かれ少なかれ内面の共鳴を得ますが、その
悪の暗示を大事にし黙認しない限り、罪責を招くには至りません。
今度は意志が挑戦を受ける番です。誘惑者が成功をおさめるかどう
かは、全く意志の決断にかかっているのです。もし、意志が誘惑に
対して『ノー』と言えば、誘惑者は失敗し敗北します。そして、た
ましいは圧倒的な勝利者になるのです」。
(トマス・クック著「新約のきよめ」22、23頁、イムマヌエル綜合
伝道団出版局、1988年)

次回の「説教要約 308」「勝利の生活を送る秘訣(3)」に続く





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Last updated  2007.08.19 15:58:32
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