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「祈らない罪」
甲斐慎一郎 サムエル記、第一、12章18~25節 詩篇の著者は、不法を行う者(罪人)の姿について「彼らは…… 主を呼び求めようとはしない」と述べています(14篇4節)。 それで、祈りの人であるサムエルの姿から「祈らない罪」につい て考えてみましょう。 一、祈りの人であるサムエル イスラエルの民は、長い間、士師としてのサムエルが行う政治の もとで生活し、その教えを受けてきました。その当時は、ペリシテ などの列強に囲まれ、いつ国が滅ぼされるか分からない状況にあり ました。しかしイスラエルの国は、偉大なサムエルの政治の力だけ でなく、その熱心な祈りによって守られていたのです(第一サムエ ル7章8~10節)。 サムエルは祈りの人です。イスラエルの民は、「あらゆる罪の上 に、王を求めるという悪を加えた」時、「あなたのしもベどものた めに、あなたの神、主に祈り、私たちが死なないようにしてくださ い」とサムエルに切々と訴えました(19節)。これに対してサムエ ルは、主に仕えるように民に勧めるとともに、「あなたがたのため に祈るのをやめて主に罪を犯すことなど、とてもできない」と民に 答えました(23節)。 サムエルにとって祈りは、イスラエルの国と民を周囲の敵から守 るものであり、それほど重要なものです。ですからもしサムエルが 祈るのをやめるなら、イスラエルの国と民は滅ぼされてしまうでし ょう。それは彼にとって主に罪を犯すことになるのです(23節)。 旧約聖書は、サムエルが偉大な祈りの人であったことを教えてい ます。 「モーセとアロンは主の祭司の中に、サムエルは御名を呼ぶ者の 中にいた。彼らは主を呼び、主は彼らに答えられた」(詩篇99篇 6節)。 「たといモーセとサムエルがわたしの前に立っても、わたしはこ の民を顧みない」(エレミヤ15章1節)。 二、祈りの人であるジョン・ノックス 2000年にわたるキリスト教会の歴史の中にも数多くの祈りの 人がいます。そのひとりが16世紀のイギリスにおいて宗教改革を 行ったジョン・ノックスです。 メリー女王がノックスと会見した時、彼女は彼に向かって、「わ が国民は、われに従うよりもあなたに服従する」とつぶやいて、嘆 きました。その時、ノックスは、「女王よ。私の考えでは、王も民 衆も従うべきお方は、ただ神のみである」と言いました。 当時、ノックスは暴虐なメリー女王のためにひどい迫害を受けて いましたが、いつも祈りによって勝っていました。ジョン・ノック スが「われにスコットランドを与えよ。しからずんば死を与えよ」 と祈って、戦ったことはあまりにも有名です。さすがの暴君もジョ ン・ノックスの祈りを非常に恐れ、ヨーロッパの全軍隊よりも彼の 祈祷の方がはるかに恐ろしいと言っていたのです。 ある晩、非常に激しい迫害の中で、もはや命も危ういと思われた 時、ノックスは、多くの友とともに祈っていました。たちまち彼は 叫んで、「救いは来た」と言いました。もちろんそれがどのように して来るのか分かりませんでした。けれども、間もなく、女王のメ リーが死んだという知らせが届いたのです。 三、教会のいのちである祈祷 聖書は、聖霊の働きが顕著に見られた初代教会でさえ、神に熱心 に祈らなければ無力であることを教えています(使徒12章5節)。 ひとりの説教者がいつもの祈祷会に行きましたが、だれも出席し ていませんでした。そこで彼は、教会の鐘を鳴らしました。その当 時、教会の鐘を鳴らすことは人が死んだことを知らせるものでした。 すぐに12人ほどの人が走り寄ってきて、「だれが亡くなったので すか」と聞きました。するとその説教者は「教会が死んだのです」 と言って、さらに鐘を鳴らし続けました。 祈祷会が盛んでない教会は、表面的に立派であったとしても、霊 的には死んでいるのです。個人の祈りはもちろんのこと教会の祈祷 会に励みましょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.10.16 00:19:37
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