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「実を結ぶ人生」
甲斐慎一郎 ヨハネの福音書、15章1~9節 「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにと どまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は 多くの実を結びます」(5節)。 「あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによっ て、わたしの父は栄光をお受けになるのです」(8節)。 一、人生の目的について 「人はどのように生きるべきなのか?」、「私たちの人生の目的 は一体何なのか?」。 これは誰でも心に抱く疑問ではないかと思います。もし、このよ うなことを一度も考えたことがない人がいたなら、その人は人間の 形はしていても、ほんとうに人間であるかどうか疑わしいものです。 なぜなら「物」や人間以外の「動物」は、決してこのようなことを 考えないからです。人間の人間たるゆえんは、このようなことを考 え、それを探求して生きるところにあるのではないでしょうか。 しかしこの疑問に対する答えとなると、全く別問題です。全く人 間らしくない答えが返ってくるからです。バートランド・ラッセル は、人間が幸福になれない理由の一つとして、人生の目的がわから ないことを述べています。 悲しいことに彼の言う通り、多くの人 々は、人生の目的がわからないで生きています。このような人は、 結果的には、食べるためや金銭のため、また遊びや快楽のため、そ して名誉や地位のために生きています。しかしこれらは決して真の 人生の目的ではありません。 それでは、人生の目的は何でしょうか。どのような道具や機械で も、それが造られた使用目的に添って使うのが正しい使い方である ように、人間も神によって創造された目的に添って生きるのが正し い生き方です。 聖書は、「わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し」とあ るように(イザヤ43章7節)、人生の目的は、「神の栄光を現す ことである」と教えています。それは具体的には、私たちが「多く の実を結」ぶことによって「父は栄光をお受けになるのです」とあ るように(8節)、神と人のために良い実を結ぶことです。 二、良い実を結ぶことについて それでは良い実とは何でしょうか。聖書は、その一つとして「愛、 喜び、平安、寛容、親切、善意、柔和、自制」という御霊の実を教 えています(ガラテヤ五章22、23節)。もし私たちが御霊の実を結 ばなければ、「不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、 そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興」といっ た類の肉の行いをしてしまうのです(同5章19~21節)。 ただし私たちは、「良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い 実を結びます」とあるように(マタイ7章17節)、結実は結果であ ることを忘れてはなりません。ある人は、次のようなすばらしい真 理を述べています。 「思いを蒔けば、行為を刈り取る。 行為を蒔けば、習慣を刈り取る。 習慣を蒔けば、性格を刈り取る。 性格を蒔けば、運命を刈り取る」 まさに「人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。 自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために 蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです」(ガラテヤ6 章7、8節)。 三、良い実を結ぶための秘訣について それでは、良い実を結ぶためには、どうすればよいのでしょうか、 それは「枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶ ことができ」ないように、私たちもキリストに「とどまっていなけ れば、実を結ぶことはできません」(4節)。 「とどまる」とは、信仰を表しています。この信仰は、「わたし の愛の中にとどまりなさい」とあるように(9節)、神の愛を信じ ることです。子どもが夫婦の愛の結晶として生まれるように、私た ちは、ひとり子をお与えになったほどに私たちを愛してくださった 神の愛を心から信じて、その愛に応えていく時、豊かな実を結ぶこ とができるのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.04.02 00:18:05
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