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「イエスの顕現(6)」
甲斐慎一郎 マタイの福音書、28章16~20節 「十一人の弟子たちは、ガリラヤに行って、イエスの指示された 山に登」りました。「そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼 拝し」ました(16、17節)。 一、人の働きとしての世界宣教 よみがえられたイエスは、弟子たちに「ガリラヤに行くように」 言われました(10節)。ガリラヤは、十一人の弟子たちが集合して、 復活されたイエスに会う場所でした。そこにおいてイエスは、彼ら に大切なことを命じられたのです。 マタイとマルコは次のように記しています。 ◇「あなたがたは行って、あらゆる国の人人を弟子としなさい」 (19節)。 ◇「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝え なさい」(マルコ16章15節)。 これは大宣教命令と呼ばれるものです。この主の命令に従い、主 のために立ち上がって、自ら進んで全世界に出て行き、福音を宣べ 伝えるのは人間です。ですから、これは人の働きとしての世界宣教 ということができます。 しかしこの命令を聞いても、もし人が従わなかったり、不純な動 機で従ったりするなら、どうなるでしょうか。また初めは、この命 令に純粋な動機で従っても、思わぬ困難に遭遇して挫折し、途中で やめてしまったなら、どうなるでしょうか。 二、神の働きとしての世界宣教 このようなことを見通すかのようにルカの福音書と使徒の働きの 著者であるルカは、世界宣教について次のように記しています。 ◇「その名によって、罪の赦しを得させる悔い改め(福音)が… …あらゆる国の人々に宣べ伝えられる」(ルカ24章47節)。 ◇「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受 け……地の果てにまで、わたしの証人となります」(使徒1章8節)。 この二つの御言葉は、聖霊の働き(すなわち神の働き)によって、 福音は全世界に宣べ伝えられるということを教えています。すなわ ち神は、全世界に福音が宣べ伝えられるように働かれます。ですか ら、これは神の働きとしての世界宣教ということができます。 ルカは、世界宣教を神の働きとしてとらえ、そのために人間のな すべきことは、次のような二つのことであると教えています。 ◇「エルサレムを離れないで(すなわち全世界に出て行かないで)、 ……父の約束(聖霊)を待ちなさい」(同1章4節)。 ◇「いと高き所から力を着せられる(すなわち聖霊を受ける)ま では、都にとどまっていなさい」(ルカ24章49節)。 三、神と人の働きとしての世界宣教 このように聖書は、「人の働きとしての世界宣教」と「神の働き としての世界宣教」の両面を教えています。これは言い換えれば、 世界宣教は、この両面によってその働きが進められるということで す。 私たちは、主の命令に従い、主のために立ち上がって、自ら進ん で全世界に出て行き、福音を宣べ伝えるという「人の働きとしての 世界宣教」によって、「神の働きとしての世界宣教」のわざをして いるのです。 しかしこの「人の働きとしての世界宣教」は、大宣教命令に、人 が従わなかったり、不純な動機で従ったり、初めは純粋な動機で従 っても、思わぬ困難に遭遇して挫折し、途中でやめてしまったりす ることがあります。 そのために聖霊が私たちの上に臨んで、私たちに力を与え、私た ちを地の果てにまで主の証人としてくださるという「神の働きとし ての世界宣教」があるのであり、世界宣教の働きは、この両面によ って進められるのです。 拙著「キリストの生涯の学び」215「イエスの顕現(6)」より転載 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.04.29 01:22:43
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