|
カテゴリ:カテゴリ未分類
「聖霊降臨の約束」
甲斐慎一郎 使徒の働き、1章1~8節 ルカは、前の書(ルカの福音書)においてイエスの誕生から受洗 と誘惑、良いわざと教え、弟子の育成と派遣、変貌、十字架と死、 そして復活と昇天に至るまでの出来事を記しました(1、2節)。 彼は前の書の続編としてこの書(使徒の働き)を書いたのです。 「この新しい書には大きな相違点が見られます。使徒の働きでは、 イエスはもはや地理的な制約を受けておられません。キリストがあ らゆるところにおられるのがわかります。彼は人間としての同情と、 神としての力によって、パレスチナだけでなく、地の果てに向かっ て働きはじめられたのです。キリストは聖霊によって働きはじめら れたのです。キリストが始められたことを、聖霊は教会を通して遂 行なさいます。……それゆえ、この使徒の働きは『聖霊によって、 キリストの御体なる教会を通して、生けるキリストの御業と御教え とが続けてなされた記録』ということができます」(G・C・モル ガン原著、F・ビヤバウト編『使徒行伝の研究』8頁)。 一、イエスから聖霊のバプテスマを受けるという約束を与え られた使徒たち(3~5節) イエスは、テベリヤの湖畔でご自分を弟子たちに現された後(ヨ ハネ21章1節)、「ガリラヤに行くように」言われました(マタ イ28章10節)。ガリラヤの山において十一人の弟子たちに、「あ なたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」と命じら れました(同28章19節)。これが大宣教命令です。 弟子たちは、このイエスの命令を聞いて驚いたことでしょう。た った十一人の弟子たちが「全世界に出て行き、すべての造られた者 に、福音を宣べ伝え」(マルコ一六15)ることなど、到底不可能で あると思ったのではないでしょうか。 確かに十一人の弟子たちだけで全世界の人たちに福音を宣べ伝え ることはできません。それでイエスは、この大宣教命令の最後に、 「わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」 (マタイ28章20節)と約束されたのです。 そのためにイエスは、彼らに「エルサレムを離れないで、わたし から聞いた父の約束を待ちなさい」と言われました(4)。それは 弟子たちが、もう間もなく「聖霊のバプテスマを受けるからです」 (5節)。すなわち弟子たちの上に聖霊が臨まれることによって、 彼らは力を受け、地の果てにまでイエスの証人となることができる のです(8節)。 二 イエスがイスラエルのために国を再興してくださること を期待した使徒たち(6節) しかし使徒たちは、聖霊のバプテスマを受けるという約束を与え られても、それが何を意味するのか全くわかりませんでした。それ どころか、イエスが「神の国のことを語」っておられる(3節)の を聞いているうちに、このイエスこそ「イスラエルのために国を再 興してくださる」(6節)メシヤであるという期待に胸ふくらます ようになりました。 弟子たちは、もともとイエスをローマ帝国の圧政からイスラエル の国を救い出してくださるメシヤとして期待していました。ところ イエスの死によってその夢が破れ、絶望に襲われていた時、イエス が死からよみがえられたのですから、今こそ国を再興してくださる にちがいないと希望を持つようになったとしても少しも不思議なこ とではありません。 三 聖霊が臨んで力を受け、地の果てにまでイエスの証人と なる使徒たち(7、8節) イエスは彼らの質問には答えられず、「聖霊があなたがたの上に 臨まれるとき、あなたがたは力を受け、……地の果てにまで、わた しの証人となります」と言われました(8節)。 「かつて、弟子たちの野望の的であった政治力のかわりに、それ よりもはるかに偉大な、はるかに高貴な力が彼らのものとなるであ ろう。イエスは、聖霊が彼らにくだるとき、彼らは上なる力に満た されるであろう、と確約された。その時、この力によって、彼らの 宣教は大きな力を生むのである」(F・F・ブルース『使徒行伝』 44頁)。 拙著「使徒ペテロの生涯」15「聖霊降臨の約束」より転載 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.05.02 01:07:41
コメント(0) | コメントを書く |