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「神の国を建設するために創造された人」
甲斐慎一郎 マルコの福音書、1章15節 一 神のかたち(像)に創造された人 聖書は「神は……人をご自身のかたちに創造された」、「神であ る主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込ま れた」と教えています(創世記1章27節、2章7節)。「いのちの 息」とは「霊」のことです。 ジョン・ウェスレーは、アダムにおける神の像(かたち)を自然 的な像(不死、人格、自由意志)と、政治的な像(支配する能力) と、道徳的な像(義と真と聖潔と愛)という三重のものとして考え ていました。 人間は単なる物質でもなければ、動物でもなく、神のかたち(像) に似せて造られた不滅の霊を持つ者です。人間の人間たるゆえんは、 この霊の存在にあり、人間が他の動物と根本的に異なるところです。 二、聖霊によって新しく創造された人 人は、いのちの息(霊)を吹き込まれたことによって「生きもの」 (創世記2章7節)となりましたが、この人の霊は、神の霊(聖霊) がともにおられることによってのみ生き続けることができます(同 6章3節)。ところが人間は、罪を犯し、堕落してしまいました。 人が堕落したということは、人の霊から神の霊(聖霊)が離れて、 その人の霊が死んでしまったということです(同2章17節)。 そこで神は、人に聖霊(神の霊)を与えて、人の霊を再び生き返 らせるように計画し、そのことを実行されました。これがイエスの 十字架による罪の贖いとその結果である聖霊の降臨です(使徒2章 33節)。 実にキリストが降誕されたクリスマスは、罪の贖いを成し遂げる イースターのためであり、そのイースターは、私たちに聖霊を注が れるペンテコステのためなのです。 三、神の国を建設するために創造された人 神の国、一般的には「天国」と呼ばれていますが、これは神の支 配される国のことで、聖書は、神の国には三つの段階があることを 教えています。 1.地上の王国としての神の国 第一の段階は、イスラエルの初代の王サウルから最後の王ゼデキ ヤまでの王国時代のことです。これは神が民を統治(支配)された 「地上の王国としての神の国」です。これは第二の段階の神の国と 第三の段階の神の国のひな型(模型)です。 2.信仰者の心にある神の国 第二の段階は、イエスを信じる者のただ中にあるという「信仰者 の心にある神の国」です。神がキリストを信じる者の心を支配され るならば、そこは神の国です。キリストは、「時が満ち、神の国は 近くなった。悔い改めて、福音を信じなさい」と宣べ伝えられただ けでなく(マルコ1章15節)、「神の国は、あなたがたのただ中に あるのです」と言われました(ルカ17章21節)。この「信仰者の 心にある神の国」は、教会のことです。 3.新しい天と新しい地という神の国 第三の段階は、「この世の国は私たちの主およびそのキリストの ものとなった。主は永遠に支配される」とあるように(黙示録一一 章15節)、世の終わりにつくられる「新しい天と新しい地という神 の国」です(黙示録21章1節)。 キリスト者は、この世において健全な国家を建設するために働く ことが必要ですが、最も大切なことは、キリスト教会という「信仰 者の心にある神の国」の民になることです。そうするなら、「新し い天と新しい地という神の国」にはいることができます。 「今神にむかって生きている者以外、後にだれも神とともに生き ないであろう。地において神の像をもつ者以外、だれも天において 神の栄光を楽しまないであろう。現在罪から救われていない者は、 だれも将来地獄から救われ得ない。この世で自分の中に神の国をも たなければ、だれも天において神の国を見ることはできない。天に おいてキリストとともに支配しようとする者は、だれでも地におい て自分を支配されるキリストをもたなければならない」(ジョン・ ウェスレー)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.06.10 01:42:59
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