|
カテゴリ:カテゴリ未分類
甲斐慎一郎 詩篇64篇6節 一、心の表面は意識があるが、心の奥は無意識で、最も奥深 いところは霊です 聖書は、人間を霊、たましい(心)、からだという三つの部分か ら成り立っていると教えています(第一テサロニケ5章23、24節)。 1.からだは、私たちを取り囲む外界の状態を知り、それに対応 する機能のことです。 2.たましい(ソウル)は、「知性の面での心(マインド)」と 「感情の面での心(ハート)」と「意志の面での心(ウィル)」と いう三つの面があります。これは、人間の知性や感情や意志という 内界の状態を知り、それに対応する機能のことです。 3.霊は、信仰によって神とその世界を知り、それに対応する機 能のことで、それは神の像に似せて造られた不滅のいのちです。 霊は、もともと無意識ですが、心も表面は意識することができま すが、心の奥は無意識になります。このことを発見したのが精神分 析学の創始者であるフロイトです。 イエスが十字架の上で語られた第一声は、「父よ。彼らをお赦し ください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」と いう言葉です(ルカ23章34節)。パウロは、「私には、自分のし ていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしてい るのではなく、自分が憎むことを行っているからです」と告白し (ローマ七章15節)、ダビデは、「人の内側のものと心は、深いも のです」と記しています(詩篇64篇6節)。 人の心が自分で見えないほど深いのは、心の奥は無意識で、最も 深いところは霊だからです。しかもこの無意識の霊と無意識の心が 意識している心の表面に大きな影響を与えている、いやそれを支配 しています。言い換えれば無意識の霊と無意識の心は、意識してい る心の意志の力が及ばず、無意識のうちに良いことも悪いこともし ているのです。 ですからこの無意識の霊と無意識の心から罪が取り除かれなけれ ば、罪を犯すことを止めることもできなければ、神の御心にかなっ た良いことを行うこともできないのです。 二、「霊」は、「心(たましい)」を支配し、「心」は「か らだ」を支配しています 「霊」は「心」の中枢機能として「心」を支配し、「心」は「か らだ」の中枢機能として「からだ」を支配しています。 「心」は「からだ」を支配していますが、この場合、意志の力に よってからだを動かす「知覚と運動の神経系」と、意志の力の及ば ない「自律神経系(交感神経と副交感神経の両者の機能を持つ)」 があり、「からだ」は、この両者によって動いています。 「霊」は「心」を支配していますが、「霊」は、もともと無意識 ですから、自律神経系のように意識している心の意志の力の及ばな いものです。すなわち無意識の霊が無意識の心に働きかけ、無意識 のうちに良いことも悪いこともしているのです。これが主イエスと パウロの語っている言葉の意味です。 三、心が救われるためには、心の奥にある霊が救われなけれ ばなりません エペソ人への手紙の四章23節は、新改訳聖書では「心の霊におい て新しくされ」と直訳していますが、口語訳聖書は「心の深みまで 新たにされて」、新共同訳聖書は「心の底から新たにされて」と意 訳しています。ここから「霊」というのは、「心の深み」であり、 「心の底」であることがわかります。 アダムが罪を犯した時、彼の霊は死に、その心に刻まれた神の像 を失って、神を知る知識も神を喜ぶ感情も神に従う意志もなくして しまいました。しかし、心に罪が住む古い人がキリストとともに十 字架につけられるなら(ローマ6章6節)、「心の霊において新し くされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、 新しい人を身に着る」ことができます(エペソ4章23、24節)。こ の「神にかたどり造り出された、新しい人を身に着る」ことこそ、 神を知る知識と神を喜ぶ感情と神に従う意志を取り戻し、「心の深 みまで新たにされる」ことなのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.09.08 00:33:37
コメント(0) | コメントを書く |