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「いのちのパン(1)」
甲斐慎一郎 ヨハネの福音書、6章21~31節 弟子たちは、湖の上を歩いておられるのがイエスだとわかると、 「イエスを喜んで舟に迎え」ました。そして「舟はほどなく目的の 地に着」きました(21節)。 この地において、イエスは、「いのちのパン」の説教をされまし た。これは、先に行われた「五千人の給食」の奇蹟の霊的な意味を 人々に教えるために語られたものです。 私たちは、このような説教を通してイエスの奇蹟は、単に人々の 当面の必要にこたえるためではなく、人間の根本的な必要である罪 からの救いを与えるために行われたことがわかります。この「いの ちのパン」についての出来事には、三つのことが記されています。 ◇いのちのパン(1)――説教のきっかけ ◇いのちのパン(2)――説教の内容 ◇いのちのパン(3)――説教の結果 一、世的(物質的)な救いを求めた群衆 「その翌日、湖の向こう岸にいた群衆は」「小舟に乗り込んで、 イエスを捜してカペナウムに来」ました(22、24節)。「そして湖 の向こう側でイエスを見つけたとき、彼らはイエスに」、「先生。 いつここにおいでになりましたか」と言いました(25節)。 ところがイエスは、ご自分を熱心に捜した人々に、「あなたがた がわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食 べて満腹したからです」と言われました(26節)。 群衆は、イエスを熱心に捜しました。しかし彼らは、しるし(証 拠としての奇蹟)を見て、イエスとその霊的な救いを求めたのでは なく、パンを食べて満腹し、イエスを王とする世的(物質的)な救 いを求めたにすぎませんでした。それでイエスは、そのことを鋭く 指摘されたのです。 そしてイエスは言葉を続けて、「なくなる食物のためではなく、 いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい」と 言われました(27節)。「永遠のいのちに至る食物」とは、神とそ の救いのことです。 二、行いによる救いを求めた群衆 イエスの言葉を聞いた人々は、「私たちは、神のわざを行なうた めに、何をすべきでしょうか」と質問しました(28節)。これはイ エスが「……働きなさい」と言われたので(27節)、神の救いは何 かを行うことによって得られると思ったのでしょう。 イエスは、彼らに、「あなたがたが、神が遣わした者を信じるこ と、それが神のわざです」と答えて(29節)、神の救いは、信仰に よって与えられるものであることをはっきりと語られたのです。 三、目に見えるしるしを求めた群衆 ところがこれを聞いた人々は、「それでは、私たちが見てあなた を信じるために、しるしとして何をしてくださいますか。どのよう なことをなさいますか」と言って(30節)、イエスを信じるために、 「天からのしるし」を求めました(31節)。 「しるし」は、「五千人の給食」の奇蹟で十分に与えられていま す。ですから、それ以上の目に見えるしるしを求めるのは、イエス を「見ながら信じようとしない」不信仰な心になっているのです (36節)。 このように群衆がまちがった三つのものを求めたことが、イエス がいのちのパンの説教をされたきっかけになっています。しかし、 この三つのことを裏から述べるなら、 ◇世的(物質的)な救いを求めないように、 ◇行いによる救いを求めないように、 ◇目に見えるしるしを求めないように、 ということになり、これは、いのちのパンの説教を聞く心構えを 教えています。 拙著「キリストの生涯の学び」78「いのちのパン(1)」より転載 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.11.10 00:19:15
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