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「神を恐れよ」
甲斐慎一郎 伝道者の書、12章13、14節 「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れ よ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善 であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさ ばかれるからだ」(13、14節)。 ルーズベルト大統領が演説した有名な言葉に「四つの自由」とい うのがあります。それは、「言論と表現の自由、信仰の自由、窮乏 からの自由、恐怖からの自由」の4つです。 4番目に「恐怖からの自由」というのがありますが、この言葉の 中に、私たちは、人類を悩ますあらゆる恐怖からの自由を求め続け て来た人間の悲願を見ることができないでしょうか。 それで「恐れ」ということについて、次のような3つの点から考 えてみましょう。 一、人間が克服しつつある恐れ――5つの恐れについて 人類を脅かす恐怖には、様々なものがありますが、大まかに分類 するなら、次のような5つになるのではないでしょうか。 1.自然的なもの――これは、天災とそれに伴う怪我また病気な ど、人の尊い生命や健康な肉体を脅かすものです。 2.経済的なもの――これは、飢えや貧困また資源や食糧の不足 など、衣食住に関する人の日常生活を脅かすものです。 3.社会的なもの――これは、人災や様々な事故また犯罪や社会 問題など、平穏であるべき人の集団生活を脅かすものです。 4.政治的なもの――これは、圧制や独裁や専制また戦争など、 当然あるべき人の基本的な自由と権利を脅かすものです。 5.文化的なもの――これは、無知蒙昧や情操教育の欠如また野 蛮や時代錯誤など、人の知的、精神的な向上を脅かすものです。 人類が長い年月を経て築き上げてきた文明とは、これらの5つの 恐怖を最小限にするための絶えざる努力の賜物に他ならず、先進国 は、ほぼこれに到達し、開発途上国は、これに向かっているという ことができます。 二、人間が自ら招いている恐れ――罪の恐れについて このように人間の世界は、文明が発達し、文化が向上してくると、 安全で快適そして便利で豊かな生活になりますが、その結果、次の ような二つの問題が起きてきます。 第一は、高慢の罪です。 人類を脅かしてきた恐怖が少なくなると、人間は、当然のことな がら、「こわいもの知らず」になり、あたかも何でもできるかのよ うに錯覚して、思い上がり、ますます高慢になってしまいます。 第二は、心の弱さです。 人は、便利で快適になればなるほど、厳しい訓練を受ける機会が 少なくなるため、からだと同様に心も弱くなり、小さな苦しみにも 耐えられなくなります。 高慢は、わがままを助長させて、人を自己中心にし、心の弱さは、 苦しみから逃れる手段として人を快楽に走らせ、その結果、道徳的 に退廃していくのです。 三、人間にとって不可欠な恐れ――神への恐れについて 人間は、様々な恐怖を克服しながら、今度はなぜ罪の恐怖を招い てしまったのでしょうか。それは、人間にとって不可欠な神への恐 れを失ってしまったからです。 私たちは、どんなに文明が発達し、文化が向上しても、前述した 5つの恐怖を克服したなどと思い上がってはなりません。なぜなら、 これらの5つの恐怖の背後には、生殺与奪の権を握っている神がお られるからです(申命記32章39節、第一サムエル2章6~8節)。 もし私たちが、この神を恐れず、傲慢に振る舞うなら、「たまし いもからだも、ともにゲヘナ(地獄)で滅ぼ」されてしまうことを 決して忘れてはなりません(マタイ10章28節)。しかし「主を恐 れる」なら、「人は悪を離れ」(箴言16章6節)、個人も家庭も 社会も世界も向上していくのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.01.26 23:25:11
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