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東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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2009.05.29
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「聖霊の働き」
                      甲斐慎一郎
                      ヨハネの福音書、14~16章

 この「訣別の説教」は、力に満たされるために必要な聖霊の働き
について教えています。

 一、聖霊の働きについて

 1.誤りを認めさせる聖霊

 「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、
世にその誤りを認めさせます」(16章8節)。

 人はだれでも、その人なりの罪観念というものを持っており、そ
の罪観念に違反する時、罪意識を持ち、良心の呵責に苦しみます。
しかし聖霊が来られないかぎり、この罪観念そのものが自分の都合
によって変えてしまう極めて身勝手なものであることに気がつきま
せん。それで聖霊は、神とキリストを信ぜず、身勝手に生きている
ことが罪であることを教え、その誤りを認めさせるのです。

 2.イエスをあかしする聖霊

 「真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかししま
す」(15章26節)。

 今までの誤りを認めさせ、神の前に罪人であることを自覚させる
のは聖霊ですが、罪を自覚した人に、その罪からの救い主キリスト
を指し示すのが聖霊です。サタンは、罪を責めるだけで、人を自暴
自棄に陥れますが、聖霊は罪を自覚させるだけでなく、その罪から
の救い主キリストをあかしします。聖書は、「聖霊によるのでなけ
れば、だれも、『イエスは主です』と言うことはできません」と教
えています(第一コリント12章3節)。

 3.神のことばを思い起こさせる聖霊

 「聖霊は……わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起
こさせてくださいます」(14章26節)。

 信仰の土台は神のことばです。私たちは信仰を持つために神のこ
とばを信じなければならず、そのために神のことばを思い起こさな
ければなりません。救い主キリストを指し示すのが聖霊ですが、こ
のキリストを信じて救われるために神のことばを思い起こさせるの
が聖霊です。聖書は、「弟子たちは、イエスがこのように言われた
ことを思い起こして、聖書とイエスが言われたことばとを信じた」
と教えています(2章22節)。

 4.真理に導き入れる聖霊

 「真理の御霊が来ると……すべての真理に導き入れます」(16
章13節)。

 イエスは、聖霊にすべての期待をかけておられました。なぜなら
イエスでさえも聖霊が来られないかぎり、弟子たちを真理に導き入
れることはおできにならなかったからです。聖書は、「神のみここ
ろのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません」と教えていま
す(第一コリント2章11節)。

 5.心の中に住まわれる聖霊

 「その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられ
る」(14章17節)。

 私たちを真理に導き入れるのは聖霊ですが、それとともに神が私
たちのうちに住むようにさせるのも聖霊です。この聖霊が私たちの
心を支配される時、私たちは、罪がきよめられ、神の愛が心に注が
れるとともに(ローマ5章5節)、奉仕の力にも満たされるのです。

 二、真のキリスト教

 真のキリスト教については、2007年1月18日の説教要約
183を参照してください。


 真のキリスト教は「キリストの十字架と復活による福音」を「救
いの土台」として、その上に「神のご性質(聖、義、愛、憐れみ、
真実)にあずかる者とな」り(第二ペテロ1章4節)、「御霊の実
(愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制)」(ガ
ラテヤ5章22、23節)を結ぶ者となるという品性や人格という家を
建て上げるのです。

 これが「内なる人」(第二コリント4章16節、エペソ3章16節)
であり、その結果または現れとして、行い(善行)、奉仕(活動)、
伝道(宣教)、修行、宗教儀式、宗教的な感情、知識、いやし、奇
跡、預言、神の国、終末(ハルマゲドン)などがあるのです。
 
 しかし前者を軽視して後者を最も重要なものとして優先したり、
第一のものとして強調したりするなら、霊的ないのちを失い、聖書
の真理からはずれてしまいます。それで「内なる人」が強められこ
とが最も必要なのです。





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Last updated  2009.05.30 00:41:23
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