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東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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2010.05.12
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「きよめの歩み(1)」 
                                        甲斐慎一郎
                                 ガラテヤ人への手紙、1~6章

 この手紙は、「割礼を受けて、モーセの律法を守らなければ救わ
れない」という誤った教えを説くユダヤ主義の教師たちに惑わされ
たガラテヤの教会の人々を、正しい福音に立ち返らせるために書か
れたものです。

  ですから、この手紙には、信仰によってのみ救われ、御霊によっ
て始まったキリスト者は、その後の歩みも御霊によって完成される
(3章3節)という正しい福音が明白に記されています。キリスト
者の歩みは、初めから終わりまで御霊によるものなのです。

  一、御霊と肉との関係

  この手紙には、鋭く対立している二つの言葉、すなわち「御霊」
という言葉が17回、「肉」という言葉が16回も記されています。
御霊によって歩むためには、「肉」について正しく理解することが
必要です。

  1.物質的な意味--これは動物の肉や人間の肉体のことです
(4章13、14節)。
  2.人間的な意味
(1)自然的な生命のこと(ローマ1章3節)。
(2)有限な人間性のこと(ローマ6章19節)。
(3)人間的な要素のこと(ピリピ3章3節)。
  3.倫理的な意味--これは、神に逆らう罪の原理のことです
(ローマ8章4~8節)。

  人間を三つの部分に分け、三重丸にたとえてみましょう。一番中
心の円が三番目の肉とするなら、中間の円である人間性は罪のため
に汚染され、一番外側の円である肉体は罪を犯す「不義の器」(ロ
ーマ6章13、16節)となります。しかし一番中心の円が御霊である
なら、中間の人間性は健全になり、一番外側の肉体は正しいことを
行う「義の器」(同6章3、16節)となるのです。
             
  二、御霊とキリスト者との関係

  この手紙には、「私のうちに」働かれるキリストの姿が実に鮮や
かに描かれています。

  1.「私のうちに啓示」されるキリスト(1章12、16節)。
  キリストが私たちのうちに啓示されるのは、「人間によるもので
は」なく(1章11節)、ただ私たちのうちに働かれる聖霊によるの
です(第一コリント12章3節)。

  2.「私のうちに生きておられる」キリスト(2章20節)。
  キリストが私たちのうちに生きておられるのは、信じた時に与え
られる御霊が(3章2節)、その後、自我に死んだ私たちのうちに
働かれることによってなされるのです。

  3.私の「うちに......形造られる」キリスト(4章19節)。
  これは、私のうちに生きておられるキリストの品性が私たちの品
性となることで、「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔
和、自制」(5章22、23節)という御霊の実を結ぶことです。

  三、御霊とキリスト者との関係

  御霊が私たちのうちに生きておられ、うちにキリストが形造られ
ためには、次のようなことを守らなければなりません。

  1.「聖霊に逆ら」ったり(使徒7章51節)、「聖霊を悲しませ」
たり(エペソ4章30節)してはなりません。
 聖霊は、私たちが罪を犯さないように、私たちのうちにあって執
り成しをしてくださる方ですから、私たちが聖霊に逆らって罪を犯
すと、聖霊は悲しまれるのです。

  2.「御霊を侮っ」たり(ヘブル10章29節)、「御霊を試み」
たり(使徒5章9節)、してはなりません。
  私たちは、罪の誘惑を受けやすい所や危険な所にわざわざ出掛け、
そのような中でも神は私たちを守られるかどうかを知ろうとするこ
とは、御霊を侮り、御霊を試みることです。

  3.「御霊を消してはなりません」(第一テサロニケ5章19節)。
 私たちは、継続的に御霊を悲しませたり、試みたりするとともに、
私たちを悔い改めさせようと働かれる「聖霊に逆ら」ったり(使徒
7章51節)、「御霊を侮」ったり(ヘブル10章29節)するなら、
御霊を消すことになるのです。

 私たちは、御霊とともに歩んでいるでしょうか。






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Last updated  2010.05.12 18:07:34
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