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東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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2010.09.01
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「個人の尊厳の自覚」
                                          甲斐慎一郎
                      マタイの福音書、10章29~31節

  現代のように人口が非常に多くなり、人々が大都会に集まって来
るようになると、多くの人々は、社会とか大衆また団体というもの
を重要視するようになってきます。

 そのためにひとりの人間の存在がますます小さなものとなり、個
人というものが失われてしまうのではないでしょうか。ですから私
たちは、社会が大きくなればなるほど、ますます個人に目を向け、
個人の尊さを自覚しなければなりません。そうしなければ、真の人
間らしさが失われ、人格の崩壊という最悪の事態を招いてしまうこ
とになるからです。

  一、「個人の存在の価値」を自覚する

  私たちは、「個人の存在の価値」というものを自覚していません
と、数え切れないほど多くの人々の中に埋もれてしまい、「どうせ
自分など、いてもいなくても同じだ。自分が何をしようも、この社
会には関係がない」と思うようにならないでしょうか。人間は「個
人の存在の価値」を見失うと、無責任になってしまうでしょう。

 主イエスは「あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です」
と言われました(31節)。ダビデは、「人とは、何者なのでしょう。
あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょ
う。あなたがこれを顧みられとは」と告白し(詩篇8篇4節)、広
大無辺な大宇宙を造られた偉大な神が、小さな自分にも心を留めて
顧みてくださることに驚嘆しています。

  私たちは、自分が神の前に尊い存在であり、それゆえ責任をもっ
て生きていかなければならないということを自覚する時、神への恐
れと信仰が芽生えてくるのです。

  二、「個人の存在の意義」を自覚する

  私たちは、「個人の存在の意義」というものを自覚していません
と、私たちの周囲に起きる様々な苦難や困難に敗北して、「なぜ自
分だけがこんなに苦しみに会うのか。何だかわけが分からなくなり、
何もかもいやになってしまった」と思うようにならないでしょうか。
人間は、「個人の存在の意義」を見失うと、失望落胆して無気力に
なってしまうでしょう。

  主イエスは「そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなし
には地に落ちることはありません」と言われました(29節)。まし
て多くの雀よりもすぐれた人間と、その周囲に起きる出来事に対し
て神は雀以下の配慮しかしてくださらないことがあるでしょうか。

  私たちは、自分が神の前に尊い存在であり、周囲に起きる苦難や
困難も、決して無意味ではなく、それらは神が個人個人を造り上げ
るために最高の知恵と愛の配慮をもって送られていることを自覚す
る時、希望に満ち、気力にあふれてくるのです。

  三、「個人の存在の目的」を自覚する

  私たちは、「個人の存在の目的」というものを自覚していません
と、多くの人々の存在が煩わしくなって、「他人なんかどうなって
もかまわない。自分さえ良ければよいのだ」と思うようにならない
でしょうか。人間は、「個人の存在の目的」を見失うと、自己中心
になり、隣人に対して全く無関心になってしまうでしょう。

  主イエスは「あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています」
と言われました(30節)。神は、ひとりひとりを特別な関心をもっ
て愛してくださいます。神は「わたしの目には、あなたは高価で尊
い。わたしはあなたを愛している」と仰せられました(イザヤ43
章4節)。私たちは、ひとりひとりの人間が神の目には「キリスト
が代わりに死んでくださったほど」に尊い愛の対象であり(ローマ
14章15節)、個人個人の生涯には、深い神のご計画と目的がある
ことを自覚する時(第一コリント2章9節)、隣人に対する無関心
が取り除かれて、愛をもって接することができるようになるのです。






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Last updated  2010.09.02 00:10:07
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