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東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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2011.03.31
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「トマス」
                   甲斐慎一郎
                       ヨハネの福音書、20章24~29節

  「トマス」というのはヘブル語で、それをギリシャ語に訳すなら
「デドモ」になり、「双子」という意味です。トマスの特徴を一言
で述べるなら、「疑う人」です。彼は「証拠を見るまでは信じない
パレスチナの住民」というあだ名をつけられました。どうしてこの
ような人がキリスト教の礎を築いた十二使徒のひとりに選ばれたの
でしょうか。

  一、ユダヤに行くと言われたイエスに反対した弟子の仲間に
決死の覚悟で主について行くと言い出したトマス(11章1~
16節)

  トマスは、ガリラヤの出身で、漁師であったようです(21章2、
3節)。

  トマスの言動が最初に記されているのは、愛するラザロが重い病
気で病んでいることを聞いたイエスが「ユダヤに行こう」と言われ
た時です(11章7節)。そのころイエスは、二回も石で打ち殺さ
れそうになりました(8章59節、10章31節)。それで弟子たちは、
イエスがユダヤのベタニヤに行こうと言われた時、身の危険を感じ
て反対しました(11章8節)。 

 しかしトマスは、弟子の仲間に「私たちも行って、主といっしょ
に死のうではないか」と言いました(11章16節)。これを聞いた
弟子たちは驚いたことでしょう。なぜなら彼は、証拠を見るまでは
信じない慎重な人で、決して軽挙妄動する軽率な人間ではないこと
をよく知っていたからです。そのトマスが決死の覚悟で主について
行こうと言ったのですから、彼の中に死に至るまで忠実な主に対す
る真実な愛を見たのではないでしょうか。

 ほかの弟子たちは、トマスの勇気と愛に力づけられて、ベタニヤ
に行きました。彼らは、ベタニヤに行ったことで、ラザロの復活と
いう奇しいわざを見ることができたのです。 

 二、イエスが去って行かれることを知らされ、当惑してどこ
へいらっしゃるのかを主に尋ねたトマス(14章1~7節)

  次にトマスが登場するのは、イエスが十字架につけられる前の日
に弟子たちに「訣別の説教」をされた時です。弟子たちは、イエス
が自分たちを残して去って行かれることを聞くと、心が騒ぎ、不安
に襲われ、恐れを抱いていました(14章1、27節)。しかしイエ
スがどこへ行こうとしておられるかを尋ねようとする弟子はだれも
いませんでした。

  このような重苦しい雰囲気に包まれた中で、ただひとりトマスが
勇気を出して、「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわか
りません」と言いました(14章5節)。この質問は、ピリポと同
じように長い間、イエスとともにいたのに、イエスのことを知らな
い無知と恥をさらけ出すことである反面、神と真理を探求する求道
心の表れでもありました。

  私たちは、恥をさらすことも恐れないトマスの求道心によって、
イエスが「道であり、真理であり、いのち」であるという永遠の真
理を知ることができたのです(14章6節)。 

 三、よみがえられたイエスに手の釘の跡とわき腹の傷跡とい
う動かぬ証拠をつきつけられて主を信じたトマス(20章24~
29節)

  使徒ヨハネがトマスの最後のことばを記している出来事は、イエ
スが復活されてから数えて八日後に起きました。トマスは、一週間
前によみがえられたイエスが十弟子に現れたことを聞いても、確か
な証拠を見なければ決して信じないと言い放ちました。イエスは、
トマスに現れ、ご自分の手の釘の跡とわき腹の傷跡を見せてくださ
いました(27節)。

  トマスは、イエスに動かぬ証拠をつきつけられると、「私の主。
私の神」と言いました(28節)。これは自らの不信仰を心から恥じ
た悔い改めの叫びであるとともに、心の底から主を信じた信仰告白
です。証拠を見るまでは決して信じないトマスが、このような信仰
告白をしたことは、キリスト教というものが作り話や架空の話に基
づいた偽りの宗教ではなく、実際に起きた歴史的な出来事を目撃し
た者が、そのとおりに伝えた正確な事実に基づいた真の宗教である
ことを教えています。

  トマスは、インドにまで福音を宣べ伝え、その地で殉教したと言
われています。

拙著「使徒ヨハネの生涯」26「トマス」より転載

東京フリーメソジスト昭島キリスト教会

 






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Last updated  2011.04.15 23:51:29
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