「神のことばである聖書」
甲斐慎一郎
テモテへの手紙、第二、3章14~17節
私たちは、「聖書は神のことばである」と安易に語ったり、伝え
たりしていますが、このことばのほんとうの重みを知っているでし
ょうか。聖書は、なぜ神のことばなのでしょうか。私たちは、この
ことをしっかりと心に銘記しなければなりません。そうしなければ、
どんなに聖書を読んで、その内容を知ったとしても、それは普通の
書物を読んでいるに過ぎず、その結果、永遠のいのちや救いに関係
がないばかりか、私たちの心と生活に何の変化も起きないからです。
一、神よりの啓示の書である聖書
「神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に
分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時に
は、御子によって、私たちに語られました」(ヘブル1章1、2節)。
ここには「神は......語られました」と明白に述べられています。
聖書は、人間に対して神が語っておられることを記した書物です。
このことを専門的なことばで「啓示」と言います。
「啓示」ということばは、もともと「おおいをとる」とか「ベー
ルをはぐ」という意味があります。ですから「啓示」とは、人間の
理性や人の探求では分からない神と神に関する真理を、神のほうか
らおおいを取って、私たちに明らかに教え示すことです。
私たちは、この神より啓示された聖書によってのみ、真の神とそ
の神のみこころや神のご計画、また人間の窮状とその救い、さらに
世の終わりや次に来る世(来世)について知ることができるのです。
二、神の霊感を受けた書である聖書
「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義
の訓練とのために有益す」(16節)。
「聖書の預言はみな......決して人間の意志によってもたらされた
のではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語った
のだからです」(第二ペテロ1章20、21節)。
聖書は、神の語りかけを記した神より啓示された書物ですが、そ
の神の語りかけを人間がどのようにして誤りなく記すことができる
でしょうか。それで神は、聖書の記者たちが聖書を書くにあたって、
間違いなく神の啓示を記すように働かれました。このことを専門的
なことばで「霊感」と言います。
「霊感」ということばは、もともと「神の息や神の霊を吹き込ま
れる」という意味があります。H・オートン・ワイレーは「霊感と
は、その書き記すところが、神の意志の表現となり得るために聖書
の記者たちの上に与えられる聖霊の働きである」と述べています。
三、神によって必ず成就する書である聖書
「聖霊がダビデの口を通して預言された聖書のことばは、成就し
なければならなかったのです」(使徒1章16節)。
「必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成
功させる」(イザヤ55章11節)。
聖書のことばは、必ず成就します(ルカ1章20節)。すなわち信
じる者には、聖書に記されているすばらしいことが必ず成就し、信
じない者には、聖書に記されている恐ろしいことが必ず成就するの
です。
なぜ聖書のことばは、必ず成就するのでしょうか。それは、聖書
は神から啓示され、さらに誤りなく記されるように神によって霊感
された正真正銘の神のことばだからです。
聖書は、神から啓示されたことばです。ですから私たちは、神の
ことばを聞かなければなりません。聖書は、神によって霊感された
ことばです。ですから私たちは、神のことばを信じなければなりま
せん。聖書は、神によって必ず成就することばです。ですから私た
ちは、神のことばを実行し、人々に宣べ伝えなければならないので
す。
甲斐慎一郎の著書→説教集
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