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東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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2013.04.16
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「永遠の霊的な教え」 

インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network
Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しま
した。以下のURLをクリックすると見ることができます。
2012年8月3日放映「キリスト教の信仰

  • 130421特礼チラシブログ用.jpg
  • 「永遠の霊的な教え」 
                                            甲斐慎一郎
                      詩篇90篇1~17節
     
     ある人は、「過去のない人は、動物に近い。そうして未来のない
    人は、まさしく動物である」と言いましたが、「伝道者の書」の著
    者のソロモンは、神の霊感を受けて、次のように述べています。

     「神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた」(伝道者3章
    11節、新改訳二版)。

     このみことばは私たちに、人間だけが「永遠」とか「永遠の世界」、
    そして「永達なる神」を思うことができるということを教えていま
    す。そこでこの詩篇90篇から永遠について考えてみましょう。

     一、神について(1、2節) 

     モーセは、「まことに、とこしえからとこしえまであなたは神で
    す」(2節)と記していますが、永遠とは、どういうことなのでし
    ょうか。

     このことに関しては、R・A・トーレーの次のような定義が最も
    よいのではないでしょうか。

    1.始めがなく終わりがない(無始無終)
    2.常に同一で全く変わらない(不変性)
    3.何にも依存せず独立している(自存性)

     神は、モーセに対してご自身を啓示された時、「我は有りて在る
    者なり」(出エジプト3章14節、文語訳)と言われましたが、これ
    こそ「無始無終」にして「絶対不変」なる「自存者」を表していま
    す。

     この定義に従えば、永遠なるものは神以外には存在しないことが
    わかるでしょう。ですから神は信じるが、永遠は信じないとか、永
    遠は信じるが、神は信じないということは、あり得ないのであり、
    神を信じるということは、必然的に永遠を信じるということを含ん
    でいるのです。

     聖書は私たちに、「永遠の罪」、「永遠のさばき」、「永遠の刑
    罰」、「永遠の火」、「永遠の国」、「永遠の栄光」、「永遠の支
    配」、「永遠の贖い」、そして「永遠のいのち」について大胆に教
    えているのです。

     二、人間について(3~11節)

     この箇所には、「人のいのちのはかなさ」(3~6節)と「人の
    心の罪深さ」(7~9節)と「人生のむなしさ」(10、11節)が記
    されています。もし私たちが永遠なる神と永遠の世界を信じなけれ
    ば、いのちのはかなさと心の罪深さと人生のむなしさは、避けるこ
    とができないことがわかるでしょう。なぜなら永遠を信じないこと
    は、必然的に次のような人生にならざるを得ないからです。

     1.刹那の人生
     「あすは死ぬのだ。さあ、飲み食いしようではないか」という刹
    那的な人生です(第一コリント15章32節)。

     2.流転の人生
     「移ろう草のよう」(5節)に、人生の土台も善悪の規準も定ま
    らず、世と時の流れに流されている放浪の人生です。

     3.盲目の人生
     人生の目的も目標もわからず、どこに行く着くかを知らないで、
    さ迷い、「やみの中を歩む」(ヨハネ8章12節)人生です。

     三、救いについて(12~17節) 

     このように、はかなく、罪深く、むなしい人生から救われるため
    には、永遠なる神を私たちの住まいとするほかにはないことがわか
    るでしょう。それは、永遠なる神を私たちの心の中に迎え、その永
    遠の神のいのちに与かることです。まさに使徒ヨハネが「御子を信
    じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つため
    である」と述べている通りです(ヨハネ3章16節)。

     聖書が教えている救いは、この世において、すでに「永遠のいの
    ち」が与えられて、「永遠の世界」に生きることです。それは、具
    体的には永遠の観点から物事を見、また考え、そして判断して、永
    遠に有益なことだけをすることです。それは、主イエス・キリスト
    が言われたように「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、
    永遠のいのちに至る食物のために働」くことを意味しているのです
    (ヨハネ6章27節)。 

    甲斐慎一郎の著書説教集

    東京フリーメソジスト昭島キリスト教会

  • 130428礼拝チラシブログ用.jpg


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    Last updated  2017.08.04 13:13:52
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