「心の一新(4)神を喜ぶ感情」
インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network
Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しま
した。以下のURLをクリックすると見ることができます。
2012年7月10日放映「聖書に基づく確かな信仰」
「心の一新(4)神を喜ぶ感情」
甲斐慎一郎
ローマ人への手紙、5章1~11節
この箇所には、「神の栄光を望んで大いに喜んでいます」(2節)、
「患難さえも喜んでいます」(3節)、「神を大いに喜んでいるの
です」(11節)と、「喜んでいます」という言葉が三回も記されて
います。
一、四種類の感情について
シェーラーは、人間の感情には、四種類のものがあると教えてい
ます。
1.感覚的な感情
肉体的な刺激によって起こる快感や苦痛の感情です。これは刺激
がなくなると感情も消えてしまいます。
2.生命的な感情
からだの内部から湧き起こってくる充実感や倦怠感また緊張感な
どの感情です。
3.情緒(情動)
一般に喜怒哀楽と呼ばれている感情です。これは激しい感情なの
で断続的です。
4.情操
情緒よりもいっそう高等で、芸術や宗教などで感じる感情です。
これは穏やかな感情なので、持続的です。
四種類の感情について人間を構成している三つの要素、すなわち
「霊、たましい(心)、からだ」に当てはめるなら、感覚的な感情
と生命的な感情は「肉体的な感情」、情緒(情動)は「精神的な感
情」、情操は「霊的な感情」ということができるでしょう。「神を
喜ぶ感情」は、言うまでもなく霊的な感情です。
二、三種類の喜びについて
感情の中で最も大切で、代表的なものは喜びです。これには、三
種類のものがあります。
1.自然の喜び
これは、良いものが与えられ、良いことがあったならば喜ぶ人間
的な喜びです。しかし、これは長続きせず、必ず慣れて飽き、しか
も目的を果たすと消えてしまう刹那的、地上的、現世的な喜びです。
2.不自然な喜び
これは、自然の喜びに満足できず、「盗んだ水は甘く、こっそり
食べる食べ物はうまい」(箴言9章17節)とあるように罪悪や恐怖
また間違ったものに喜びを見いだす罪深い喜び、常軌を逸した喜び、
異常な喜びなど自然に反した喜びです。
3.超自然の喜び
これは、神の栄光を望んで大いに喜び、患難さえも喜び、神を大
いに喜ぶ喜び(2、3、11節)、「聖霊による喜び」(14章17節)、
罪を赦された喜びなど、神的、天的、永遠的な喜びです。「神を喜
ぶ感情」は、この超自然の喜びです。
自然の喜びに飽きた人間は、不自然な喜びを求めて堕落していく
か、超自然の喜びを求めて向上していくかのどちらかなのです。
三、神を喜ぶ感情について
喜びは、知識の面からみるならば、好ましく思うことです。
感情の面からみるならば、嬉しく感じることです。このために必
要なことは、不思議に思って、驚嘆することです。英語で「不思議」
のことを「ワンダー」と言いますが、その「ワンダー」に満ちてい
ることが「ワンダフル」、すなわち「すばらしい」ことです。不思
議に思って驚嘆することこそ「すばらしい喜び」です。
意志の面からみるならば、進んですることです。これは、「歓迎
する」、「喜んで……する」という言葉に表されているように、あ
る物事を意志的に受け入れ、乗り気になってすることです。
私たちは、いったい何を好ましく思い、何を嬉しく感じ、何を心
から進んでするでしょうか。超自然の喜び、すなわち神を喜ぶ感情
があるかないかは、私たちの信仰と霊性を計るはかりです。
1.この喜びは私たちの信仰が健全であることを教えるものです。
なぜならこの喜びこそ私たちが神を喜んでいるという証拠であると
ともに、私たちを「喜ぶ者といっしょに喜」ぶ(ローマ12章15節)
愛の人に変え、喜んで神と人に仕えるようにさせるからです。
2.この喜びは、「ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずか
しめをものともせずに十字架を忍び」(ヘブル12章2節)とある
ように苦しみを忍ばせるものです。
3.この喜びは、「主を喜ぶことは、あなたがたの力である」
(ネヘミヤ8章10節、別訳)とあるように私たちに力を与えるもの
です。
甲斐慎一郎の著書→説教集
東京フリーメソジスト昭島キリスト教会