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東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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2014.01.07
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カテゴリ:カテゴリ未分類

「古代ヘブル語の時制概念」    2014年1月14日

インターネットのテレビ局CGNTV(Christian Global Network
Television)の番組「みことばに聞く」に当教会の牧師が出演しま
した。2013年11月25日放映「聖書に親しむ」 

140101時のとらえ方.jpg


「古代ヘブル語の時制概念」  
                               甲斐慎一郎
                 イザヤ書、49章8節

 一、時制について

 言語には時制があります。時制は「ヨーロッパ諸言語などで、過
去・現在・未来など、時の違いを表す際の動詞を中心に見られる語
形変化の組織である」と辞書には記されています(旺文社、詳解国
語辞典)。

 二、ヨーロッパ諸言語と日本語の時制

 日本語の時制には「過去形」と「現在形」はありますが、「未来
形」はなく、「現在形」で代用しています。たとえば「明日、学校
へ行きます」というのは未来のことですが、現在形で表現していま
す。英語であるならば、「明日」という未来を表す言葉があれば、
必ずWillかShallをつけなければなりません。しかしWillとShallは、
助動詞ですから、英語も未来形の動詞は、ないことになります。そ
れでも英語は、「過去形」と「現在形」と「未来形」がはっきりし
ています。そのために私たちは、時間というものは「過去」から
「現在」そして「未来」に流れているものであると、何の疑いもな
く信じています。

  しかし人間の霊と心は、過去・現在・未来という三つに区切るこ
とは出来ず、一つにつながったものとしてとらえています。たとえ
ば、今が1月14日の午前1時であるとするならば、午前1時1分
は、未来ですが、1分後には、現在になり、さらに1秒でも過ぎれ
ば、過去になります。未来と思っていた時が、一瞬のみ現在となり、
すぐに過去になっていくのです。

 三、ヘブル語の時制

 ですから「信仰の世界」や「神の世界」や「聖書の世界」は、こ
のような「過去」「現在」「未来」という時制概念が全く通用しま
せん。なぜなら「神にとっては過去や未来というものはなく、すべ
ての事柄は等しく現在である」からです(ジョン・ウェスレー)。
人間も「過去」のことは、過ぎ去って、どうすることもできず、
「未来」は、来ないかもしれない不確かなものですから、神の前に
おいては、「過去」や「未来」というものはなく、すべての事柄は
等しく「現在」なのです。

 ヘブル語には、古代ヘブル語と現代ヘブル語があり、現代ヘブル
語は「過去形」と「現在形」と「未来形」がありますが、旧約聖書
の原語である古代ヘブル語の時制には「完了形」と「未完了形」し
かありません。

 古代ヘブル語は、神の選民であるイスラエル人の言語で、旧約聖
書は、神の視点から、また神を中心に記されています。それで、そ
れを書き記す古代ヘブル語の時制は、「神にとっては過去や未来と
いうものはなく、すべての事柄は等しく現在である」という神概念
を基にしているので、「過去形」や「未来形」がない時制になった
ものと思われます。

 四、古代ヘブル語の時制の特徴

 古代ヘブル語の時制には、次のような特徴があります。
 
 1.古代ヘブル語の時制概念はかなり自由です。古代ヘブル語の
時制は、「完了形」と「未完了形」しかありませんが、「未完了形」
といっても必ずしも未来の行為を表すとは限りません。過去の行為
を表すこともできます。

 2.特に、神が主語となる場合には、過去と未来が厳密に分けら
れることがありません。なぜなら、神は常に働いておられますから、
過去に行われたことは、未来においても現実となるからです。です
から「未完了形」の動詞が過去の行為を表すと同時に未来の行為を
も表すことができるのです。また反対に「完了形」の動詞がまだ起
こっていない神の行為に対しても使われます。神が確実に実現され
ることは、たとえまだその出来事が完了されていなくても、「完了
形」で表されることが多いのです。

 五、聖書の読み方

 私たちは、聖書を読む時、また神のことばを聞く時、「神にとっ
ては過去や未来というものはなく、すべての事柄は等しく現在であ
る」ということを念頭に置き、過去や未来の出来事にとらわれない
ことが必要です。すなわち、この聖書の記事は、過ぎ去った「過去
の出来事」なので、今の自分には関係がないとか、この聖書の記事
は、まだ来ていない「未来の出来事」なので、今の自分には関係が
ないというような捉え方をしてはならないのです。聖書は、次のよ
うに教えています。

 「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日にあなたを助け
た」(イザヤ49章8節)。「確かに、今は恵みの時、今は救いの
日です」(第二コリント6章2節)。

次は2014年1月22日(水)「時空を超越した神の救い、その1」」です。  

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甲斐慎一郎の著書説教集

東京フリーメソジスト昭島キリスト教会

 






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Last updated  2016.12.25 19:24:46
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