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東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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2018.05.26
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「聖霊に満たされる秘訣」  2018年5月27日  ​
インターネットのテレビ局CGNTV(⇒みことばに聞く⇒関東⇒
東京B)の番組に当教会の牧師が出演しました。
2017年9月6日放映「​過去を変えてこそ将来がある​」

​「聖霊に満たされる秘訣」  ​
            甲斐慎一郎
            使徒の働き、1章3~14節
  キリスト教の教会暦における行事の中で最も大切で代表的なもの
は次の三つです。
1.クリスマス(キリスト降誕節)
2.イースター(キリスト復活節)
3.ペンテコステ(聖霊降臨節)
  聖書は、キリストが降誕されたクリスマスは罪の贖いを成し遂げ
るイースターのためにあり、イースターは私たちに聖霊が臨まれる
ペンテコステのためにあると教えています。
  一、聖霊に満たされる第一の秘訣――神の約束を知って待ち望む
こと(3~8節)  
  イエスは、弟子たちに「わたしから聞いた父の約束を待ちなさい」
と言われました(4節)。弟子たちに聖霊が与えられることは父の
約束です。しかしここに至るまでのイエスの生涯を見るなら、イエ
スの生涯そのものが私たちに聖霊を与えるという約束です。イエス
は、私たちに聖霊を与えるために、ご自身の尊い血を流されたから
です(ヨハネ7章39節、12章23、24節)。
  イエスの十字架の死と復活と昇天は、私たちに聖霊をお注ぎにな
るため「御父から約束された聖霊を受け」る準備であり、条件でし
た(使徒2章33節)。イエスは、この箇所において3回も聖霊を与
えるという約束をしておられます(4、5、8節)。
  しかし弟子たちは、地上の王国を夢みて、イスラエルの国の再興
のことを質問しました(6節)。その時、イエスは、今すぐ知らな
くてもよいことと、緊急に知らなければならないことを教えられま
した。後者は、聖霊が与えられることです。
  しかし人は、ともするとすぐ知る必要のないことや目新しいもの
を求めようとします。けれども信仰の世界においては、66巻の聖
書が与えられている現在、新しい真理など存在しません。古い神の
約束をなおざりにして新しい知識を求めても、人は決して変わりま
せん。かえって古い神の約束を再認識し、再発見する時、新しい光
(知識)が与えられ、新しい体験をすることができるのです。
  二、聖霊に満たされる第二の秘訣――聖霊の必要性を深く自覚す
ること(9~11節)
  イエスは、「罪のきよめを成し遂げ」られたので、天に上って、
「すぐれて高い所の大能者(神)の右の座に着かれ」たと聖書は教
えています(ヘブル1章3節)。言い換えれば、イエスの昇天は、
贖いのわざの完成です。そして聖霊の降臨は、その結果です。イエ
スが昇天されなかったならば、聖霊が臨まれることはなかったので
す(ヨハネ16章7節)。
  しかし弟子たちは、相変わらずイエスが復活された後も、地上の
王国を夢見ていましたが、昇天によってイエスが彼らの視界から消
えた時、彼らが見ていた地上の王国の夢も消えてしまいました。そ
の代わり地上の王国が建設される前に、人々の心の中にキリストに
よる霊的な王国を建設する大任が彼らに託されました(8節)。
  弟子たちは、目に見える頼みの綱であったイエスが取り去られた
ので、約束の聖霊を待ち望む以外になすすべがなかったのですが、
これは私たちにとっても同じです。
  三、聖霊に満たされる第三の秘訣――神にすべてをささげて信じ
ること(12~14節)
  だれが一番偉いのかと争っていた弟子たちが、なぜ心を一つにし
て祈りに専念することができたのでしょうか(14節)。聖霊が必要
であると深く自覚していたので、体裁や体面など気にしている時で
はなかったからです。
  神にすべてをささげる献身は、神の前に正しい者として立つため
に、人の前における体裁や体面に死ぬことです。「人はなにと言う
ともよし、光に従い、言い表わさなん」(聖歌265番2節)とあ
る通りです。人の前における体裁や体面とは、人からの誉れのこと
で、私たちは、「互いの栄誉は受けても(すなわち人からの誉れを
求めても)、唯一の神からの誉れを求めな」ければ、真の信仰を持
つことはできません(ヨハネ5章44節)。神にすべてをささげて信
じる時、私たちは聖霊に満たされることができるのです。
甲斐慎一郎の著書説教集​​​​​​​​
  2018年5月20日に出版した「神のご計画の全体」です。








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Last updated  2018.05.26 22:37:27
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