「目玉焼の正しい食べ方」
伊丹十三氏のエッセイ集「女たちよ!」から、「目玉焼の正しい食べ方」です。 目玉焼というのはどうも食べにくい料理である。正式にはどうやって食べるものなのか。こうだ、という自信のある人にかつてお目にかかったことがない。 どう考えても正式でなさそうな食べ方の第一に、白身から食べるやり方がある。まわりの白身をどんどん切りとって食べてしまう。最後に黄身だけが丸く残る。こいつを、右手に持ちかえたフォークでそろりそろりと口に運ぶ。これは見ているほうがはらはらしてしまうし、第一、フォークを右手に持ったりするところが、どうにも怪し気な感じだ。それに、黄身だけを大事そうに最後まで残されると、ホラ、子供がおいしいものを一番最後に食べる、あの感じになってしまう。ははあ、この人は子供の頃から目玉焼を食べる時には黄身だけを最後まで残してたんだな、そうしてついにそれを脱却しなかった人だな、という気がしてしまう。 おいしいものだからこそ、一番おなかのすいている最初に食べるべきだ、という考えをおこした友人があった。この食べ方も一見して邪道とわかる。目玉焼を見るなり、彼は皿に口を近づけて、真ん中の黄身をぺろりと吸いとってしまうのですが、こんなことが人前で許されるべきものではありません。 となると、残る方法はただ一つ。大事な黄身を、涙をのんで壊してしまうやり方である。流れ出した黄身を、いわばソースにして白身を食べる、というやり方である。穏健でもあり、常識的でもあり、かつ味覚的にも悪くないと思うのであるが、おもしろみがないうえに、食べ終った皿が黄身だらけで、まことに見苦しく、つい、パンかなにかで綺麗に拭きとりたくなってしまう。実際問題としてもったいない食べ方であって、やはり完全な方法ではありますまい。 例の友人は、最近では、白身を黄身の上にうまくたたみこんで、目玉焼一個を一口で食べる方法を考えているらしいが、これもあまり期待できそうにないのであって、目玉焼というものは、つまりそれほどまでに、なかなか食べにくいものなのであります。参考までに私の用いている方法をいおうか。これは非常にインテリ臭い食べ方である。すなわち、この文章と同じようなことを喋りながら実演すればよいのだ。「ネ、こうやってさ、白身から食べる人がいるけど、あれはやだねえ。こんなふうに黄身だけ残しちゃってさ、それを大事そうに最後に食べるんでやがんの。ホラ、こんな具合い!」愚生の食べ方を白状しますと、人目を気にしない我が家では、黄身に吸いつきます。そして、外では涙をのんで黄身を壊してしまいます。世の中、この二つを使い分けている人が結構多いのではないでしょうかねえ。 本編へのコメントです。(Edelstoffさん)伊丹式インテリ目玉焼き賞味法は、一人でやったら精神病棟に入れられそうですね。(偏屈老人)Edelstoffさん幸い一人の時はどんな食べ方でも構いませんので・・。