カテゴリ:屁理屈
「自分の価値感が正しいと思わなきゃ、やってられないわー。」 と、今日の2つ目の日記に書いたものの、これに良く似た言葉を、聞いたことがあったことに気が付いた。その時、私は、そんな傲慢な、と心の中で思った。 その時は、価値感のコトではなかった。「事実か事実でないか、何が事実かって、わからない。」というような(これは私の意見だけれど)話だったように思う。 例えば、昔のコトを思い出して、あの時あーだった、こーだった。昔、同じ時間を過ごした時のことを思い出す。1人は、あのレストランに行った。もう一人はそこは行こうと言ったが、結局行かなかった。と、言い張る。 こんな事実の違い。 どっちが正しいか。当人以外、わかるはずもない。その当人達が違う事実を持っているんだから、どちらかが折れるか、じゃ、お互いそう、思っとこ、くらいのおおらかさがないと、解決しない。 「自分が正しいと思わなきゃ、やってられないわ。」と、言った。 それを聞いた時、私は愕然とした。そんな風に考える人もいるんだな、って。で、それが、とてもイヤだった。なんの怯みもなしに、自分が正しいと言い切れる自信と傲慢さ。 今、考えてみると、そう考えておくのが自分に一番やさしい、ってコトになるのかな。 で、「自分の価値感が正しいと思わなきゃ、やってられないわー。ってことかな。」って書いてから、しばらくいろいろ考えていて、この話を思い出した。 同じなんだろか。イヤだなぁ。価値感は他人と共有したワケでもないし、自分勝手に自分に都合のよいように価値を作り上げているだけで、自分には正しいわけで、他人には関係ない。 共有した時間の真実はどちらかが正しいワケだから、ちょっと違うだろうと、自分を納得させておこう(←こうして、私も自分にやさしくするのだ、あはは)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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