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February 3, 2008
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カテゴリ:生活

また、1週間、第4週目(1ヶ月と1日)

かなり落ち着いてきて、ワケの分からない行動はほとんどしなくなった。頭がはっきり、というか寝ぼけていないときは、かなりはっきりしている、見た目もほとんど今までと変わらない。けれど、言いたい事がこちらに伝わらないし、こちらの言っている事も理解できないようだ。状況判断は以前とかわらないくらい的確にできている。かなり機転がきいている。ほんとうに、言葉だけが、わかっていないようだ。記憶がどこまで確かなのか調べようがない。

失語症って、ほんとに、なった人は路頭に迷うんだろうな。どういう世界なのか、ほんとにわからない。本によれば、まったく知らない言葉の国に、いきなり放り込まれた、字をみても読めない、言葉を聞いてもわからない、けど、手振り、みぶり、状況判断で出来る事もある、そんな感じらしい。けど、基本となる母国語が機能を果たさないから、それを使って情報を得たりすることが出来ないのが、まず、違うらしい。

右利きにとって、ひらがな、かたかな、数字などは、左脳が司っているので、読めない。漢字は表意文字なので、読み方はわからなくても、おおよその意味がわかる漢字もあるらしい。

父親に漢字を見せたりしたけど、どれの意味が理解出来て、どれが出来ていないか、判別つかない。それに、父親本人がこの状況をどう把握しているのかも、まだ、見えてこない。質問されているのか、ただ思ったことを言っているのか、わからない。

これ、どうなったのかなぁ、とか、首をかしげて、何か言っている時、答えようがない。悲しいかな、ほんとうにわからない。自分ひとりで納得しているような口調の時は聞いて頷いていてあげればいいけど(消極的な内容だと頷いているのもどうかと思うけど、実際反応のしようがないんです)、何か不安だったり、問いかけられている感じの時は、ほんとに、どう返答しようか、と、思う。

脚のマッサージをしたり、ごはんを食べたり、何かしている時とか、いっしょに何かをしている時の発話はわかりやすい。それについて、話しているに違いないのだから、こちらの頭をフル回転して聞いていると、やってほしいことや感想など、音のイントネーションで理解できる。そんなときは、ほんとに、うれしい。後から考えると、状況判断でこちらの思い込みなんだろうか、とか、思うけど、その時は、ほんとうに、そう、聞こえるのだ。

先日から、確認できた言葉とうか音「ぜんぜん」「ひっぱって」「難儀やな」「おまえ」「そんなのいらん」「~ちがうんか」「もう~」他にもあったけど、覚えていない。状況判断だけが今のところの意思疎通手段となっている。

そう思うと、口癖やよく言うような内容や表現、そういうことをよくわかっていれば、なんとか理解できることもある。だから、家族でその人の癖や習慣など(家族でも口数の少ない人はわかりづらいだろうな)普段からよく把握していると見えてくることも多々あるように思う。いままで意思疎通が出来ていない人には、さっぱり見当がつかないだろうし、また、当事者だけで理解できることもあるように思う。

父親は高齢だし、普段も何もしていないし、知らない人とコミュニケションを取ったりすることもそうそうないし、どうしても新しい知識を取り入れたりする必要もないし(って、本人は知る事好きなんだけどなぁ)、学校、会社に通っているワケでもないから、ある程度の人とコミュニケイションがとれて、テレビを聞き取れたらいいくらいのものだろうけど、もっと若くして失語症になった方達は、ほんと大変だろうなと思う(失語症に限りませんけど)。

父親が一生懸命何かを説明しようとしている、じっと聞き耳たてて、じっくり聞いて、頭フル回転させているのに、まったくわからないと、涙がでそうになる。言ってもわからないけど、ごめんよ、わかれへんの、と小声で、言うしかない。


失語症のすべてがわかる本 講談社 加藤正弘 小嶋知幸 監修
失語症者、言語聴覚士になる 雲母書房 平澤哲哉著
失語症者の在宅ケア 雲母書房 平澤哲哉著
脳が言葉を取り戻すとき 日本放送出版協会 佐野洋子 加藤正弘
と、これだけ、まず読んだ(4番目は途中)。

そもそも失語症の存在も言語聴覚士の存在も知らなかった。最初は、父親の様子を見ていて、認知症との違いがよくわからなかった。4週目にはいって、ようやく少し呑み込めてきた。


明日、リハビリ専門病院に転院。やっとこの病院に慣れたところなのに、また、慣れるところからしなくてはならない。今の病院は居心地が良かったし、どうだろ。けど、これも、また一歩かな。


今日、父親のいる病室で、姉と私と、明日が遠足でもあるかのように、新しく買ったトレーニングウエァを父親に着せてみたり、これいる、これ要らないね、あれいるね、あれ要らない、と、転院する準備をしていたら、その様子をじっとみていた父親は、3人揃っているのがうれしかったのか、声をかけてきて、また、泣いた。

おじじ、がんばれ。





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Last updated  February 4, 2008 01:03:37 AM
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